広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

広島藩

「とうかさん」中止になりました。何だか悔しいですね。

今年の「とうかさん」中止になりました。 日本中のお祭りが次から次へと中止になっていってます。 去年の「とうかさん」の写真引っ張り出してきました。 中央通り一帯では、毎年45万人の人出で賑わいます。 夕方にかけてたくさんの人で賑わうので孫が生まれ…

広島で初めてのクラスターが発生しました。とっても素敵な城下町三次市で

何だか今日は眠いです。 昨晩、23時過ぎ姉からメールが届き、 「三次で感染者23人出たらしいよ。0時過ぎに湯崎県知事の会見あるらしいよ。」 って内容でした。 広島市でも衝撃的なのに、県北の三次市で、、、 なんで? って思ってしまいました。 0時過ぎと言…

ワシントン会議から学ぶこと。加藤友三郎の名言「国防は軍人の専有物に非ず」から

広島市中区の中央公園内に、第21代内閣総理大臣加藤友三郎像があります。 生家は大手町にあり、広島藩志加藤七郎兵衛の三男として生まれました。 台座には、 内閣総理大臣正二位大勲位 ワシントン軍縮会議首席全権 加藤友三郎 像 とあります。 平成20年に復…

「武一騒動」西洋人から見てもとても不思議だったみたいです。

私が習った日本史で、少しずつあれ?って思われること時々あります。 「武一騒動」もその一つです。 教科書では、16世紀半ば過ぎの戦国争乱から19世紀半ばすぎの江戸幕府が倒れるまでの約300年間を近世または封建時代後期と呼ぶと習いました。 封建時代とい…

「武一騒動」農民による旧藩主浅野長訓の上京阻止が発端になっておきた暴動の話です。難しかったです。

長いこと借りていたこの本、やっと読み終えました。 廃藩置県によって旧藩主は東京移住を命じられたのに対して 明治4年、広島県におきた旧藩主浅野長訓の上京を阻止するため広島県の農民が広島城に押し寄せて実際に延引させたことが発端になって起きた騒動で…

江戸時代広島藩の武士達が地道に縫い針作ってたのが、世界のスポーツ用競技ボールメーカーへと繋がっていきました。

広島には、「モルテン」「ミカサ」と世界に誇れるスポーツ競技用ボールメーカーがあります。 我が家にあります「ミカサ」のバレーボールです。あらまぁ!ずいぶん汚れてますね。 20年前子供が使ってましたが、今は少しばかり空気が抜けて孫が遊ぶのにちょう…

広島針、300年前から芸北地域の「たたら製鉄」の鉄で広島藩で製造されてました。現代は広島ブランド「広島針」です。

広島針、私の裁縫箱覗いてみますと入ってます。 少し前に久しぶりに針を買いに行きますとコルクにプラスチックケースに入っておしゃれになってる!って思いました。 入れ物もさることながら、縫い針としては最高で布のもつ繊維を壊すことなくすっと針が入っ…

瀬戸内の小魚料理、小イワシの刺身です。「なんまえ~いらんかねぇ~」の由来は?

カタクチイワシです。私たちは小イワシって言ってます。 小イワシの刺身にします。 とても、安くておいしいです。 1パック250円で今回は2パック買いました。 頭から骨にそってスプーンでいいですこそいで三枚におろします。 水で洗えば洗うほど新鮮なお…

聖光寺、広島藩幕末の志士 高間省三「皇国の興廃は今日にあり」(二葉の里、歴史の散歩道)

聖光寺には、もう一人広島藩の武士で幕末の志士、高間壯士之碑と高間省三正忠之墓があります。 大石内蔵助親子のお墓にばかり注目を浴びていますけど、 この二葉の里を歩きましたのも、このお墓にお参りしたいとの思いもありました。 広島護国神社の筆頭祭神…

加賀のお姫様、広島藩主浅野光晟正室満姫の菩提寺國前寺(二葉の里、歴史の散歩道)

國前寺(本尊:釈迦如来)です。 広島駅新幹線口から15分も歩けば、國前寺にたどり着きます。 私は、今回は広島東照宮から尾長天満宮、そして國前寺に来ました。 石碑の詩にありますように、加賀の姫 自昌院とは、 加賀藩主前田利常のお姫様で、三代将軍家光…

広島東照宮、城下町広島の総鎮守です。(二葉の里、歴史の散歩道)

広島東照宮です。 城下町広島の総鎮守 御祭神 東照大権現(徳川家康) です。 頂いたパンフレットによりますと 徳川幕府3代将軍家光は、初代家康公を祀るため、全国有力諸大名の領地に東照宮建立を勧めたそうです。 浅野2代藩主光晟の生母振姫(ふりひめ)は家…

鶴羽根神社、パワースポットだそうです。(二葉の里、歴史の散歩道)

明星院よりほんのわずか100mばかり進みますと、 鶴羽根神社にたどり着きます。 御祭神は 妹背二柱の神 伊邪那岐命(イザナギノミコト) 伊邪那美命(イザナミノミコト) 八幡三神 帯中津日子命(タラシナカツヒコノミコト) 品陀和氣命(ホンダワケノミコト) 息…

広島藩浅野宗家と忠臣蔵(二葉の里、歴史の散歩道)

今週の土曜日12月14日、赤穂浪士討入りの日ですね。 元禄14(1701)年、江戸城内の松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけ、刃傷沙汰を起こしてしまいます。赤穂藩主の浅野内匠頭は切腹、お家は断絶。 吉良上野介はおとがめなし。 元禄15年12月14日、家臣…

明星院、広島城からみますと鬼門にあたりますところにあります。藝州広島藩主祈願寺(二葉の里、歴史の散歩道)

饒津神社を出まして、隣接するように月光山明星院あります。 と言いましても、広島駅北口へ繋がる二葉通り(県道84号線なんですね)を車で走りますと奥まってわからないです。 もとは毛利輝元の生母、妙寿院の位牌所で、南光月素月山妙壽寺(臨済宗)だったそう…

八剣神社、広島城主二代目の福島正則公唯一の治世の史跡です。(二葉の里、歴史の散歩道)

牛田大橋南側に、小さな祠があります。 小さくても凜と誇らしげに鎮座されてます。 地元の人に大事にされているのがわかります。 広島城主二代目の福島正則公唯一の治世の史跡です。 広島の城下町を形成し、西国街道、雲石街道など広島への交通の便も確保し…

広島城外堀、明治に埋め立てられ取り壊された櫓、塀、地下街工事のとき発掘されました。オブジェとして見ることできますよ。

鯉城通り、紙屋町交差点の北東側、地下街シャレオから広島県庁へつながる空間です。 通り道に過ぎない地下街への通路に比べてここは、静かで余裕すら感じられ私は好きです。 広島城の発掘された石垣があります。 当時のニュースで紹介されていました。 何年…

江戸時代の元安橋、高札場がありとっても活気づいてました。現代この地に高札建つと面白いでしょうね。

広島市道路本標です。原爆ドームから川岸にそって元安橋まで来ますと、植え込みの中に この杭があります。 広島市道路元標 (広島県里程元標) このあたりは陸上交通の主要街道が交差し、また太田川の水運の利もあって、広島城下の中心となっていた。当時この…

ー広島藩浅野家年寄岡本宮内の墓石ー平和記念公園の中にある原爆にあった五輪塔。地輪だけになりながら踏ん張ってますよ。

平和記念公園を歩いてましたら、お墓があります。 かなり立派な方のお墓だと思われます。 塔の地輪だけ残ってます。風輪と空輪がそばに落ちてます。水輪と火輪は破壊されたのでしょうか? 「地 髙見院景山素閑居士」 「元禄二 巳年」 「二月」 ですかね。 五…

史跡「頼山陽居室」こんなビル街の中にいきなり江戸時代にタイムスリップしました。頼山陽って、いちがいじゃったんじゃね。

旧日本銀行広島支店跡の東側に、頼山陽史跡資料館があります。 鯉城通り界隈はいわゆるビジネス街で突然現れる江戸時代にタイムスリップする感じです。 戦前からこの石柱同じ場所に建っているそうです。被爆して折れて修復したそうです。 ヒビが入ってるとこ…

広島市16世紀、平和大通りあたり海岸だった。その痕跡見つけたくて行ってみました。

鯉城通りは、広島城南交差点から市役所交差点前までを結ぶ大通りです。 広島城南交差点から、まっすぐに南北に延びてます。 この鯉城通りを南下してますと平和大通り(昔は100メートル道路といってました)との交差点北東側に白神社があります。 この交差点…

2代目祇園坊柿そろそろ熟してるかしら、、、安神社行ってきました。

前回、安神社にお参りしまして、福島正則公がおいしいって言ったという、あの青く実をつけてた祇園坊柿。 sobanikutama.hatenablog.jp その時の私のブログです。もしよろしければご覧になってみてください。 あれから、1か月郊外を車で走ってましたら国道に…

蘇りました。猿猴橋。

京口門から京橋通り抜けて京橋ととことこと歩いてまいりました。 昔とちっとも変わらない(多少は変わってますけど)京橋通り、最近流行りのコーヒーショップなどなくてこれがまたいいです。 全く変わらない交番、100円パーキング(昔はよく停めました)淡々と通…

京へ繋がる橋、京橋です。

京口門を出て、いよいよ京橋まで来ました。 京橋です。流れてる川はそのままで京橋川です。 京橋がどんなにか大事な橋かわかりますね。 広島駅から八丁堀までバスや電車でしたらぐるっと回りますが京橋から歩くと近いので昔はよく渡った橋です。 毛利輝元が1…

気分は参勤交代です。京口門〜京橋通り

広島城の東側に京口門があります。 紙屋町交差点から電車通りの北側を東に下りますと、東急ハンズがあります。 次の角を曲がりますと京口門経由のバス路線となってます。 電車白島線通りと平行に伸びてます。 京口門はバス停になってます。 広島藩が京へ立つ…

天明貳壬寅年の頃ってどんな時代?

先日紹介しました安神社の前に立ってる常夜灯ですけど、 掘ってある文字で天明貳壬寅年は1782年で江戸時代ってことがわかり一人で興奮したんですけど、 あれから 1782年頃ってどんな時代だったのかな? 気になり出しましたので分かる範囲で調べてみました。 …

2代目祇園坊柿

安神社にお参りいたしましたら、 さらにアップで 1661年以前に佐東郡祇園社(安神社)に初めて植えられていたという祇園坊柿です。 僧侶の丸い頭に似てるから祇園坊だそうです。 実は近年安神社にはなかったので、植樹されてました。 2代目祇園坊柿です。 愛宕…

浅野氏広島城入城400年⑸

いよいよ本丸下段から上段へ登っていきます。 かなりの広大な空き地で、目に入るのは 軍施設跡です。 今回は、軍都広島を語るつもりないので、大本営が置かれてましたとだけ書きます。 あっ!そうそう!ひとつだけ 輝元からずっと、さらに幕末も広島藩は官軍…

浅野氏広島城入城400年⑷

現在の今私たちがいる広島で考えると少しばかり無理がある気がします。 バスセンターでバス降りて広島城の方へ向かって地下道潜ったら広島城。 これが私たちの広島城なんですよね。 おそらく浅野長晟は実際には京口門くぐった段階で広島城入城なんですよね。…

浅野氏広島城入城400年⑶

いよいよ本丸です。 中御門跡、おそらく400年前中御門は開かれ粛々長晟は入城していったんでしょうね。 本丸に入ると石垣に触れることができます。 手のひらを当てるとなんだか頑張ろうって思います。 赤く焼けた石は原爆による熱で焼けましたってのを以前聞…

浅野氏広島城入城400年⑵

令和になって、2回目の広島城です。 今回は、広島城初入城した広島初代藩主の浅野長晟のお付きの人くらいの感じで行ってみました。 広島城は毛利輝元が、聚楽第を模したそうです。 二の丸は浮島みたいになって、それは美しいお城です。 まずはその二の丸です…