紙屋町交差点から電車通りの北側を東に下りますと、東急ハンズがあります。
次の角を曲がりますと京口門経由のバス路線となってます。
電車白島線通りと平行に伸びてます。
京口門はバス停になってます。
今はビルの谷間に公園となっていて、京口門公園と言ってます。
時代の流れですから仕方ないのですけど、公園は喫煙場になってて、少しばかり残念なことになってました。
ここの門が開門されてお殿様は参勤交代されたってこともう少し発信してもいいのになぁって思いました。
市内電車の白島線の道路を横断して京橋通りへ向かいます。
よく浮世絵とか見るみたいに参勤交代の列、華やかだったでしょうね。
当時勢いよく旗や幟が上がったそうです。いざ出発に華を添えるみたいに意気が上がったでしょうね。
城下町の人たちもお殿様がご出立されるのをそれをみてお祝いされたんでしょうね。活気を感じます。
その地域のことを今でも残ってる幟町で、名前の由来はここからきてるそうです。
歩いてみて町の様子が目に浮かびました。
京橋までまっすぐに伸びてる道を歩いてましたら、鉄炮町です。
先日広島城に行った際、鉄砲もフグもあたったら死ぬ!ところから、鉄砲のことをフグって言ってましたとありました。
それを思い出して、お土産用の下関のトラフグの提灯の口と鉄砲の銃口が重なって一人でケラケラと笑ってしまいました。
鉄砲町幟町と進みます。
そうしてますと、しばらく歩くと
西国街道との合流地点です。京橋通りと三叉路になってます。
あちらから西の各大名は下に下にと御一行様通られたんですね。
さぞかし荘厳で華やかだったでしょうね。
拝見してみたかったですね。
というのも今の私たちであって、もしも私当時そこにおりましたら、土下座でお迎えしないといけないので度重なるうちに内心めんどくさい!なんて、不謹慎な事考えたかもしれませんね。
なんてぶつぶつと呟きながら歩いてましたら、
あっ!見えてきました。
いよいよ京橋近いてきました。