広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

広島市16世紀、平和大通りあたり海岸だった。その痕跡見つけたくて行ってみました。

鯉城通りは、広島城南交差点から市役所交差点前までを結ぶ大通りです。

広島城南交差点から、まっすぐに南北に延びてます。

この鯉城通りを南下してますと平和大通り(昔は100メートル道路といってました)との交差点北東側に白神社があります。

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この交差点、白神社から鯉城通りをまたいで北西側にNHK広島があります。このNHKに沿って平和大通りを西に進むと平和大橋がすぐ目の前にありその先が平和公園です。

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 10月28日から29日秋祭りでお祭りの幟があがってました。

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      白神社(しらかみしゃ)

  このあたりは、16世紀頃まで海であり、船がしばしば海面につきでた岩礁に衝突し遭難したので、船人は岩上に白い紙を立て、船の安全をはかる目印にしていた。その後、ここに小祠を建て“白神”と称し、毛利、福島時代には広島の総氏神として住民から尊崇されていた。昭和20年8月6日の原爆により神社は焼失し、同30年12月に再建された。

 

と案内板に記されてます。

このあたりが海岸だったってこと知ってはいましたけど、実際に見てみたいと思ってました。

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社殿が岩の上にわざわざ建ってます。広島はデルタでこの岩には違和感感じます。

それより

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 常夜灯です。境内の中にありました。こんな広島市のど真ん中に常夜灯です。

安神社の前にもありました。間違いなく海岸ですね。

白神社を出ますと目の前に、旧国泰寺愛宕池跡があります。

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今回はお祭りの準備で案内板、仮設ステージで隠れてましたので今年7月にちょっと立ち寄ったとき写してましたのを紹介しますね。

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      ー広島市指定史跡 旧国泰寺愛宕池ー

 この辺りは、旧国泰寺の境内にあたります。この池は、ここに国泰寺の鎮守愛宕社があったことから愛宕池と呼ばれるようになったものです。愛宕社は、国泰寺開基当時(1601年)から存在しており、この池は当時のおもかげを残しているもので、城下町形成初期の遺稿として貴重なものです。

 また、この池は、白神社の境内に連なる岩礁の一部を利用して池としたもので、城下町形成初期の頃の海岸線は、この付近であったと推定され、三角州形成の一つの里程標としても意味深いものです。なお、池石の一部に彫られた滝は、満潮時には遊泳したという伝説を伝えています。

 国泰寺は、毛利氏の時代に、僧恵瓊が安国寺として創建し、福島氏の時代に改めて国泰寺として開基されました(1601年)その後、浅野氏が藩主として入国し、その菩提寺として入国し、その菩提寺として、歴代藩主の尊敬をうけました。

 現在、国泰寺は、西区己斐上三丁目の山腹に移転しています。

      昭和60年3月          広島市教育委員会

 

愛宕池跡はホテルが建ち並んでます。まるで広島市のど真ん中のホテルの庭みたいで、宿泊されるのもなかなかいいでしょうね。

潮の香りまではちょっと難しいですけど、想像の中で浸ってみてはいかがでしょうか?

という、私、潮の香りどころか波の打ち寄せる様まで勝手に想像して歩いてみました。

愛宕池跡から平和大通りを信号で渡りましたら、みつけました。

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ここにも常夜灯です。

愛宕池より南側です。海岸線が平和大通りみたいにまっすぐではないですよね。岩礁で。入り組んでたんですかね。

なんかわくわくしますね。