広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

江戸時代広島藩の武士達が地道に縫い針作ってたのが、世界のスポーツ用競技ボールメーカーへと繋がっていきました。

広島には、「モルテン」「ミカサ」と世界に誇れるスポーツ競技用ボールメーカーがあります。

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我が家にあります「ミカサ」のバレーボールです。あらまぁ!ずいぶん汚れてますね。

20年前子供が使ってましたが、今は少しばかり空気が抜けて孫が遊ぶのにちょうどよいです。

 

何故?広島に二大スポーツ競技用ボールメーカーがあるのでしょうか?

広島藩の下級武士が江戸時代たたら製鉄の鉄で縫い針を手内職で支えてきたことを先日のブログで紹介しましたが、

それが大きく影響してます。

広島の手縫い針とボール関係なさそうですね。私も今までこの二つの繋がりなど考えたことなかったです。

広島針は明治末期、他産地よりさきがけて手工業から製針機械化に成功して、増産していき流通していきます。

1914年(大正3年)、第一次世界大戦が勃発してアジア市場にヨーロッパに代わって日本産縫い針の需要が広がっていきました。

大正バブルの到来です。

しかし戦後恐慌がおき、広島針も淘汰されていきましたが、広島県主導で品質管理を徹底させ1937年(昭和12年)には、縫い針の国内シェア95%に達していたそうです。

そこで、針を輸出してまして、ゴムを輸入してたそうです。

ここで、針とゴムが繋がってきました。針工場とゴム工場は同じ広島市西区に集中しています。

「ミカサ」の前の社名「明星ゴム工業」は、私の小学生の頃随分昔ですけど、運動靴や上履きはほとんど「明星ゴム工業」だった様に記憶してます。

 

広島の芸北地域のたたら製鉄で作られた鉄で下級武士が手内職で地道に縫い針を作り初めておよそ300年、「モルテン」「ミカサ」と世界のスポーツ用競技ボールメーカーへと繋がっていきます。

過去のオリンピックでも、惜しくも日本チームは参加できなくても、ボールは参加してます。って言ってましたよ。しかも、広島の、、、って

2020年東京オリンピック公式球に認定されたらいいですね。

 

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