平和記念公園を歩いてましたら、お墓があります。
かなり立派な方のお墓だと思われます。
塔の地輪だけ残ってます。風輪と空輪がそばに落ちてます。水輪と火輪は破壊されたのでしょうか?
「地 髙見院景山素閑居士」
「元禄二 巳年」
「二月」
ですかね。
五輪塔について少し調べてみました。
天台宗・日蓮宗は、上から「妙・法・蓮・華・経」
浄土宗では、上から「南・無・阿弥・陀・仏」
禅宗では、下から「地・水・火・風・空」
の漢字五文字が刻まれる場合もあるが、宗派をとわず種子掘ることもあるそうです。
日蓮正宗では必ず上から「妙・法・蓮・華・経」の文字を刻むそうです。
この墓には
「地」とあります。元禄の時代です。広島藩浅野の重臣の方でおそらく禅宗だと思います。
五輪塔は地輪、水輪、火輪、風輪、空輪と古代インドにおいて宇宙を表すものだそうです。
原爆の直下をうけたこの五輪塔は風輪と空輪が宙に浮き水輪と火輪が砕け、地輪が残ったってことですよね。
なんだか恐怖の大王が舞い降りてきて、水と火は砕けましたが、地が踏ん張った!って、、、なんだか一人で空想してしまいました。
案内板がありました。「広島藩浅野家の御年寄岡本宮内」とは、どんな方なんでしょう。
広島県のホームページの広島県立文書館の中の収録文書目録・仮目録にありました。
その中に安芸国広島浅野家家中 岡本家文書があります。
岡本家は初代藩主浅野長晟に仕えて以降、有力な広島藩主。第4代藩主浅野綱長の庶子貞喬(1704~1755)は岡本主馬の養子となり、騎馬頭、用心を経て17歳の亨保6年に年寄役に就任した。以降老年に至るまで藩主を補佐して功績があった。
と記されてます。かいつまんで書きましたので、詳しくは広島県のホームページをご覧になってください。
その方のお墓でした。
まさか200年後にこんなことになるとは思いもしてなかったでしょうね。