歴史探訪
広島市中区立町にあります中の棚商店街、 本通りではなくて、こっち通ろうかしらって気が向くままよく通ります。 とうかさんの帰り道も、中の棚のお稲荷さんにご挨拶もかねて通りました。 (このことは、一昨日にも書きましたね) 江戸時代、中の棚の前身であ…
元安橋から見る原爆ドームです。 お昼の賑わいも嘘のようです。 元安橋は毛利輝元の時代から架かっていました。 原爆ドーム辺りは、旧住所では、猿楽町、細工町といいます。 能楽師や楽器の細工師がたくさんいた町です。 謡曲や能のはやしが聞こえたでしょう…
とうかさんといえば、 竹の柄で組んでありますうちわです。 クーラーもいいです、もちろん扇風機でも、 それでも、私が物心ついた頃から買っていました 絵柄も変わらないこのうちわで仰ぐのが、我が家流です。 どんな大きな顔も隠れるこのうちわ、 竹がいい…
4年ぶりに復活しました広島市安佐北区可部の高松山の「大文字まつり」です。 300年続く、火除けのまつりです。 国道54号線安佐南区八木峠を越えますと大の字が見えてきます。 27日の19時から灯されました。 28日の今日も見る事ができます。 8時…
高松山、ゆっくりと登り始めておよそ1時間半、頂上に辿り着きました。 三角点です。 高松城跡です。 細長く広がっていて、りっぱな館が建っていたと想像できます。 縁を覗いて見ますと登山道以外はものすごい斜面で、とても強固ななかなか攻め落とせる山城で…
広島市安佐北区可部の国道183号線、191号別れ交差点から見ます高松山です。 根の谷川を渡り、 登山道入口の看板より 5分ほど歩き、鳥居を潜り高松神社、高松山頂上高松城跡を目指します。 谷筋ルートと尾根筋ルートがあり、 谷筋ルートは危険とあり、右折し…
最上稲荷の帰り、備中高松より東へ迂回して、 第七代考霊天皇の皇子、大吉備津彦命が吉備の国に下られ、蛮行を重ねていました温羅(うら)一族を平定したと伝えられています 三備一宮、吉備津神社に立ち寄って帰りました。 (三備とは、備前、備中、備後の三つ…
最上稲荷お詣りから、お腹空いてきました。 備中高松で食べた 「筑豊ラーメン山小屋」のラーメンです。 秀吉の備中高松城水攻めの地で、筑豊ラーメンです。 それが、とてもおいしかったんです。 食べ終わり外へ出ますとずっと曇りでしたのに、すごく雨が降っ…
最上稲荷の本殿です。 30年ぶりでしょうか? 変わらず立派な本殿です。 初詣に来ましたのでたくさんの参拝者で線香の煙で目が痛くなるほどでした。 最上稲荷の略縁起を掲示板で読みますと、 天平勝宝4年(752年)に報恩大師が八畳岩で御本尊の最上位経王大菩…
広島市南区稲荷町の稲生神社のお守りぎつねです。 1733年(亨保18年)、神社周辺4町で大火災発生するが神社は火災から免れたそうです。 この時、白狐より町の千穏と五穀豊穣、商売繁盛を願い安住したいというお告げがあり鎮守されたと言い伝えられています。 …
稲生神社は、 広島市南区の南区七大伝説の一つ、 先日の河童猿猴伝説に次いで「妖怪伝説」のある神社です。 稲生神社は、 三次の妖怪話として有名な稲生物怪録(いのうもののけろく)! 妖怪を退散させた稲生武太夫(いのうぶだゆう)が祭られています神社です。…
広島駅前大橋から駅前通りを走ってきますと広島市南区稲荷町で電車の路線とぶつかります(現在行われている駅前再開発で電車の路線は大きく変わるみたいです)。 電車の路線に沿って大きく右に曲がりますと道路の反対車線側に赤い鳥居が連なっています稲生神…
広島城の城南通りを東へ進みますと現在広島駅南口再開発で工事中の駅前大橋南詰めまで来ます。 これより城南通りは比治山通りと移っていきます。 的場町の大正橋交差点から、段原地区へと入っていきます。 河川敷から大正橋写しますと、 あらまぁ! こんなと…
広島市安佐北区可部の福王寺は、金亀山福王寺といいます。 池に棲む金の亀が水中から浮かび上がって弘法大師空海に礼拝したことから金亀山といいます。 今回、火渡り祭に来させてもらって、 素焼きの亀のおみくじを引きました。 我が家のキャビネットの上、…
今週のお題「お花見」 比治山公園の現代美術館からさらに進みますと彫刻の小道と表された脇道があります。 彫刻の像がほんの僅かにあり上っていきますと美術館脇まできます。 美術館脇からは小道を下っていきます。 下ってきた小道を振り返ってみますと、と…
今週のお題「お花見」 比治山の御便殿跡です。 お花見によく来たところです。 桜の木の下でシートをひいてお花見する光景は今も昔も同じですね。 ただ違うのは、 私が子供の頃は、御便殿跡の基礎部分が残っていて、 私の記憶では、子供の背丈より高くて四方…
広島基町クレド、パセーラ前ふれあい広場です。 この一帯は、広島城大手郭(外郭)跡です。 説明板には、 広島城は、安土桃山時代に中国地方一帯を領していた毛利輝元が、瀬戸内海へと流れ込む太田川の三角州に築いた平城です。 天正17年(1589年)に築城が開始…
広島市城南通りの歩道から見た広島グリーンアリーナです。 携帯の地図アプリでは、ちょうど私が立っていますこの位置が「広島城三の丸稲荷社跡」となっています。 この日は、コンサートですか? アリーナの周りには若い人達が多く集まっておられました。 み…
広島市城南通りを挟んで、南側に広島グリーンアリーナこと広島県立総合体育館があります。 地下道を通って体育館方面に上がってきて、 外気に触れると同時に広島城の石積みに出会えます。 思わず石垣に寄りかかりたくなります。 広島県立総合体育館建設工事…
広島城のお堀は、常にお堀の水を浄化させるために、本川から取水しています。 本川から取水した水を公園の中を暗渠となって通ってお堀を一周して、また本川へ流れていってます。 空鞘橋西詰から渡りまして、ちょうど渡り終わる頃に、お堀を一周した水が吐き…
広島市寺町から本川の河川敷の遊歩道を歩いて行きますと、 空鞘橋(そらざやばし)があります。 川上から見ました空鞘橋です。 東へ渡りますと城南通りへと繋がって広島駅前、比治山通り、段原を経て国道2号線、さらに進み宇品で広島南道路へと繋がっています…
3月18日から、彼岸の入です。 19日、ウォーキングを兼ねて、 寺町と大手町のお墓参りに行ってきました。 バス停でバスを降りて国道54号線から寺町に入りますと、 建設中のサッカースタジアムが真っ正面に見えてきます。 本川を挟んで、広島城の西の防…
広島市安佐南区祇園、県道277号線とJR可部線の間に住宅街の中に、安藝津彦神社があります。 御祭神は、安芸津彦神、安芸津姫神です。 御由緒書きには、 昔は青原に鎮座し給い本祭神は阿岐国造饒速玉の御祖先であり厳島神社の兼帯七社の一つであって 明治5年(…
神武天皇が、当地の者に「曽は誰そ」とお尋ねになられました。 そのことから、広島県府中町のこの森のことを「誰曽廼森(たれそのもり)」といいます。 現在の多家神社(安芸郡府中町)は、「誰曽廼森」に、鎮座されています。 多祁理宮あるいは埃宮に神武天皇の…
広島県安芸郡府中町の多家神社(埃宮)には、 「神武天皇東征御留蹕霊地」といった碑が建っています。 神武天皇が、東征の時、安芸津彦命の案内で火山(ひやま)に登られ、天皇の存在を知らせる烽火(のろし)をあげられ、山を下りられ、山本(広島市安佐南区)から…
広島市の東部に隣接します安芸郡府中町の多家神社には、 広島城三の丸稲荷社の社殿が、明治7年(1874年)移築されています。 校倉造りです。 宮司さんともお話が出来て、 説明板にも書いてありますように、 一般的な校倉造りは、三角形に近い五角形の校木で組…
空鞘稲生神社(広島市中区本川町)の末社、恵美須神社です。 寛政10年(1798年)に勧請されたとあります。 さらに、明治35年3月中島新町の「恵美須神社」を合祀したとあります。 広島市で私が出会った「恵美須」と書きますえびす様は、 広島市中区榎町の「恵美須…
広島市中区大手町のNHK広島放送局の平和大通り側に、「ヒロシマの火 平和への灯」があります。 このモニュメントには、 広島平和記念公園の「平和の灯」と福岡県星野村の「平和の火」から分火された2つの火から灯されたものです。 「平和の火」は、福岡県星…
広島市中区本川町の空鞘稲生神社の境内にあります「幸神社(こうじんじゃ)」です。 御祭神は、猿田彦大神です。 御由緒は、天文年間(1532年頃)の創建で「彦山明神」と称していましたが明治4年「幸神社」と改称したとあります。 天文年間は、広島城が天正17年(…
広島市中区本川町にあります空鞘稲生神社の 注連石を潜りますと原爆クスノキがあります。 このクスノキは、 昭和20年8月6日、広島に原爆が投下され、 焼け野原になりました爆心地近くの元安川左岸に被爆直後芽吹いたクスノキです。 被爆焼死したクスノキ…