牛田大橋南側に、小さな祠があります。
小さくても凜と誇らしげに鎮座されてます。
地元の人に大事にされているのがわかります。
広島城主二代目の福島正則公唯一の治世の史跡です。
広島の城下町を形成し、西国街道、雲石街道など広島への交通の便も確保し、のちの発展の礎を作ったにも関わらずこの祠しか残ってないのはすごく残念です。
幕府による言い掛かり(少なくとも私はそう思ってます)で改易させられましたとはいえ、やはり逆らったということになったんでしょうね。
福島色から浅野色に変わるのも世の常というものですかね。
それにしましても、堤防が、決壊し、人柱の代わりに八本の名剣を地中に埋めて堰き止めたという福島正則らしい逸話ですね。
1617年とあります。水害により広島城改修が原因で改易されたのが1619年ですから、まさにこの時の水害のことですね。
広島は大雨が降ると以前は堤防は決壊し、度重なる水害で悩まさられた歴史があります。
ですから川に沿って一段高く堤がしかれてます。
祠は北風にも逆い堤の上からしっかり川に向かって敢えてここに建てられてるとあります。
今でも水の守護神として見守ってくれてます。