広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

江戸時代の元安橋、高札場がありとっても活気づいてました。現代この地に高札建つと面白いでしょうね。

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広島市道路本標です。原爆ドームから川岸にそって元安橋まで来ますと、植え込みの中に

この杭があります。

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         広島市道路元標

         (広島県里程元標)

 このあたりは陸上交通の主要街道が交差し、また太田川の水運の利もあって、広島城下の中心となっていた。当時この地に高札場があり、付近には馬継場や藩の公式の宿舎、御客屋などがあった。したがって、広島からの里程(みちのり)はすべてこの地点から起算されていた。

 明治以降、県政施行にともない、ここに木柱で広島県里程元標が建てられたが、明治22(1889)年市政施行後は、現在の石柱で広島市道路元標と改められた。

 

とあります。

高札場がありましたとあります。

時代劇で見ますよね。

日本橋のところで幕府からのお達しが高札に掲げられてそれを町人や武士たちが群がってあーだこーだ言ってるシーン!

あれですよね。

元安橋この地に高札場がありとあります。広島からの里程がここから始まって広島藩、とっても重要な地点だったことがわかりますね。

江戸時代、元安橋、木橋で馬継場があり藩の公式の宿舎や客屋があり、人の往来が激しくて、雁木からは船から米俵が降ろされ米倉に、物売りの人もいましたかね。

高札には広島藩からのお達しが記されたものが掲げられて、人々がそれに群がって「浅野のお殿さんのお達しじゃけん!」とか言って、

頭の中くるくる想像してますと、すごく活気あふれてるのが見えてわくわくしてきました。

ところで、

馬継場って、わかるようでよくわからないですね。

コトバンクで調べてみました。

馬継場とは、江戸時代、公用旅行者が駅馬を乗り継ぐ所。宿場。またはその問屋場。

今で言う駐車場とは少し違いますね。

それとですね、

今の元安橋、当時とは違いますけど、この地に高札が建てればおもしろいなぁって思いました。

その高札には何を書く?

うーん!ほうじゃね!

「ゴミのポイ捨ては断じて禁ず!安芸国広島市」とか、

「この元安橋は西国街道て江戸時代より架かってた橋で、当時からかなり賑わっている。車には気をつけて渡られよ!安芸国広島市」とか、

こんなのどうですか?

江戸時代の元安橋少し発信したらいいのに、そうしたらもっと魅力的になるような気がしますね。