浅野氏
旭山神社にあります表示板には、前々回、前回に続いて、続きがあります。 そこには、 《旭山神社の特徴》として書かれています。 いにしえ、この旭山は松がおおう神秘的なまで美しく、眺望も素晴らしい岬だった。 ここに神功皇后を案内したことから、その後…
いつもブログ読んでくれている友だちから、 「黒七味、赤穂浪士と繋がる七味屋さんなんだね。」 ってメールきました。 えっ、そうなの? うどんおいしかった事ばかりで箱の中のしおり見てなかったです。 sobanikutama.hatenablog.jp 確かに、 元禄16年(1703…
昨日は、初秋の少し暑さの残る穏やかな日でした。 広島市南区元宇品から臨む黄金山(おうごんざん)です。 かつては、広島湾に浮かぶ島でして、仁保城がありました。 安芸武田氏の警固屋衆であった白井氏の支城であったといわれています。 武田氏滅亡後は毛…
広島城天守閣は、博物館になっています。 甲冑や刀剣、武士の生活など常時展示してあります。 その中でも福島正則公の「呑み取りの槍」で有名な「日本号」の写しが常時展示してあります。 一言で写しと言っても、全く引けをとる物ではなく槍の穂に施された細…
今日は、 ほんとに、久しぶりに、 今年の1月に訪ねてからですから8ヶ月経つんですね。 バスの車窓からは眺めていましたけど、今日訪ねてみました。 もったいぶってますね。 広島城です。 平日ではありましたけど、混雑こそしてませんでしたけどそれでも数人…
三瀧寺にあります「多宝塔」です。 とても、重厚的で美しいです。 三瀧寺多宝塔は、広島県重要文化財に指定されています。 説明のボードによりますと、 大永6年(1526年)の創建というこの塔は、和歌山県広八幡神社の境内に建立されていたものを、原爆犠牲者…
#おうちでとうかさん大祭 令和2年、今年のとうかさん大祭は元来でしたら、6月5日から7日広島の街を浴衣を着た人人で、賑わうはずでした。 例年では考えられない、浴衣グッズのセールが始まっていました。 来年に、孫の兵児帯半額で買いました。 新型コロ…
国道183号線より、西側に古川に平行して疎水が流れています。 古川はやがて広島市の主流であります太田川へと流れていきます。 その疎水のことを八木用水といい、広島市安佐南区東部の八木(やぎ)から長束(ながつか)の間をおよそ16.3kmに及びます。 この地…
今年の「とうかさん」中止になりました。 日本中のお祭りが次から次へと中止になっていってます。 去年の「とうかさん」の写真引っ張り出してきました。 中央通り一帯では、毎年45万人の人出で賑わいます。 夕方にかけてたくさんの人で賑わうので孫が生まれ…
何だか今日は眠いです。 昨晩、23時過ぎ姉からメールが届き、 「三次で感染者23人出たらしいよ。0時過ぎに湯崎県知事の会見あるらしいよ。」 って内容でした。 広島市でも衝撃的なのに、県北の三次市で、、、 なんで? って思ってしまいました。 0時過ぎと言…
長いこと借りていたこの本、やっと読み終えました。 廃藩置県によって旧藩主は東京移住を命じられたのに対して 明治4年、広島県におきた旧藩主浅野長訓の上京を阻止するため広島県の農民が広島城に押し寄せて実際に延引させたことが発端になって起きた騒動で…
國前寺(本尊:釈迦如来)です。 広島駅新幹線口から15分も歩けば、國前寺にたどり着きます。 私は、今回は広島東照宮から尾長天満宮、そして國前寺に来ました。 石碑の詩にありますように、加賀の姫 自昌院とは、 加賀藩主前田利常のお姫様で、三代将軍家光…
二葉の里にあります、学問の神様、尾長天満宮です。 菅原道真が太宰府に下る途中、尾長山の麓に船を寄せ、この山に登って休息したと伝えられ、その場所に小祠が建てられたそうです。 陸路ではなく、海路だったんですね。 醍醐天皇の治世の折、出世を続け右大…
広島東照宮です。 城下町広島の総鎮守 御祭神 東照大権現(徳川家康) です。 頂いたパンフレットによりますと 徳川幕府3代将軍家光は、初代家康公を祀るため、全国有力諸大名の領地に東照宮建立を勧めたそうです。 浅野2代藩主光晟の生母振姫(ふりひめ)は家…
明星院よりほんのわずか100mばかり進みますと、 鶴羽根神社にたどり着きます。 御祭神は 妹背二柱の神 伊邪那岐命(イザナギノミコト) 伊邪那美命(イザナミノミコト) 八幡三神 帯中津日子命(タラシナカツヒコノミコト) 品陀和氣命(ホンダワケノミコト) 息…
今週の土曜日12月14日、赤穂浪士討入りの日ですね。 元禄14(1701)年、江戸城内の松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけ、刃傷沙汰を起こしてしまいます。赤穂藩主の浅野内匠頭は切腹、お家は断絶。 吉良上野介はおとがめなし。 元禄15年12月14日、家臣…
饒津神社を出まして、隣接するように月光山明星院あります。 と言いましても、広島駅北口へ繋がる二葉通り(県道84号線なんですね)を車で走りますと奥まってわからないです。 もとは毛利輝元の生母、妙寿院の位牌所で、南光月素月山妙壽寺(臨済宗)だったそう…
饒津神社、創建時に黒松を植栽し参道は壮大な松並木だったそうです。 昭和20年8月6日、20数本ありました黒松、熱風、爆風によって損傷・倒木の被害を受けましたが、十数本の松は生き延びたそうです。 その後最後の一本となり、平成15年1月枯死に至ったと記し…
牛田方面から、とぼとぼ歩いてみました。 饒津神社の社殿に沿って擁壁が設けてあり、壁に阻まれて歩道より見上げても社殿は見えません。 やがて参道が道路に平行して見えてきます。 右折して饒津ガード下をくぐりますと広島駅南口へ 神社に沿って左折します…
平和記念公園を歩いてましたら、お墓があります。 かなり立派な方のお墓だと思われます。 塔の地輪だけ残ってます。風輪と空輪がそばに落ちてます。水輪と火輪は破壊されたのでしょうか? 「地 髙見院景山素閑居士」 「元禄二 巳年」 「二月」 ですかね。 五…
鯉城通りは、広島城南交差点から市役所交差点前までを結ぶ大通りです。 広島城南交差点から、まっすぐに南北に延びてます。 この鯉城通りを南下してますと平和大通り(昔は100メートル道路といってました)との交差点北東側に白神社があります。 この交差点…
アストラムラインの不動院駅降りまして、駅舎から国道まで階段で降りましたら、小脇に石段があります。さらに石段をトントンと降りまして、ちょっと左に目をやると灯籠が見えます。 見えてきました。 楼門です。 国重要文化財に指定されてます。 金剛力士像…
不動院を見る前に、不動院の歴史パネルがありました。改めてというよりだいたいしか知らなかったので、再認識しますね。 これでは、とっても読みづらいので書き写しますね(間違えないように。。。) 新日山安国寺 不動院の歴史 新日山安国寺 不動院は、江戸時…
京口門を出て、いよいよ京橋まで来ました。 京橋です。流れてる川はそのままで京橋川です。 京橋がどんなにか大事な橋かわかりますね。 広島駅から八丁堀までバスや電車でしたらぐるっと回りますが京橋から歩くと近いので昔はよく渡った橋です。 毛利輝元が1…
先日紹介しました安神社の前に立ってる常夜灯ですけど、 掘ってある文字で天明貳壬寅年は1782年で江戸時代ってことがわかり一人で興奮したんですけど、 あれから 1782年頃ってどんな時代だったのかな? 気になり出しましたので分かる範囲で調べてみました。 …
いよいよ本丸下段から上段へ登っていきます。 かなりの広大な空き地で、目に入るのは 軍施設跡です。 今回は、軍都広島を語るつもりないので、大本営が置かれてましたとだけ書きます。 あっ!そうそう!ひとつだけ 輝元からずっと、さらに幕末も広島藩は官軍…
現在の今私たちがいる広島で考えると少しばかり無理がある気がします。 バスセンターでバス降りて広島城の方へ向かって地下道潜ったら広島城。 これが私たちの広島城なんですよね。 おそらく浅野長晟は実際には京口門くぐった段階で広島城入城なんですよね。…
いよいよ本丸です。 中御門跡、おそらく400年前中御門は開かれ粛々長晟は入城していったんでしょうね。 本丸に入ると石垣に触れることができます。 手のひらを当てるとなんだか頑張ろうって思います。 赤く焼けた石は原爆による熱で焼けましたってのを以前聞…
令和になって、2回目の広島城です。 今回は、広島城初入城した広島初代藩主の浅野長晟のお付きの人くらいの感じで行ってみました。 広島城は毛利輝元が、聚楽第を模したそうです。 二の丸は浮島みたいになって、それは美しいお城です。 まずはその二の丸です…
浅野氏広島城入城400年記念の一つで、広島県立美術館に 「広島浅野家の至宝よみがえる大名文化」行ってきました。 車でもなくタクシーでもなく電車で行きました。 白島線です。電車のすれ違いうまく撮れました。 白島線は短い区間を往復してます。 のんびり…