広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

浅野氏

広島城、中御門跡です。

広島城二の丸から土橋を渡りますと中御門跡です。 お城らしく行く手が鈎になっていて石垣に囲まれます。 少し空気が変わります。 400年以上の歴史を感じるも、石垣が赤さびたように赤く変色しています。 昭和20年、原子爆弾によって、中御門は焼失し石も焼け…

夜の平和公園です。

元安橋から見る原爆ドームです。 お昼の賑わいも嘘のようです。 元安橋は毛利輝元の時代から架かっていました。 原爆ドーム辺りは、旧住所では、猿楽町、細工町といいます。 能楽師や楽器の細工師がたくさんいた町です。 謡曲や能のはやしが聞こえたでしょう…

とうかさんといえば、

とうかさんといえば、 竹の柄で組んでありますうちわです。 クーラーもいいです、もちろん扇風機でも、 それでも、私が物心ついた頃から買っていました 絵柄も変わらないこのうちわで仰ぐのが、我が家流です。 どんな大きな顔も隠れるこのうちわ、 竹がいい…

稲生神社のお守りぎつねです。お狐さまです。

広島市南区稲荷町の稲生神社のお守りぎつねです。 1733年(亨保18年)、神社周辺4町で大火災発生するが神社は火災から免れたそうです。 この時、白狐より町の千穏と五穀豊穣、商売繁盛を願い安住したいというお告げがあり鎮守されたと言い伝えられています。 …

稲生神社、南区妖怪伝説です。

稲生神社は、 広島市南区の南区七大伝説の一つ、 先日の河童猿猴伝説に次いで「妖怪伝説」のある神社です。 稲生神社は、 三次の妖怪話として有名な稲生物怪録(いのうもののけろく)! 妖怪を退散させた稲生武太夫(いのうぶだゆう)が祭られています神社です。…

広島のお稲荷さんです。

広島駅前大橋から駅前通りを走ってきますと広島市南区稲荷町で電車の路線とぶつかります(現在行われている駅前再開発で電車の路線は大きく変わるみたいです)。 電車の路線に沿って大きく右に曲がりますと道路の反対車線側に赤い鳥居が連なっています稲生神…

比治山公園、御便殿跡に残された注連柱、とても染みいる言葉です。

今週のお題「お花見」 比治山の御便殿跡です。 お花見によく来たところです。 桜の木の下でシートをひいてお花見する光景は今も昔も同じですね。 ただ違うのは、 私が子供の頃は、御便殿跡の基礎部分が残っていて、 私の記憶では、子供の背丈より高くて四方…

広島城大手郭跡です。広島城広大です。

広島基町クレド、パセーラ前ふれあい広場です。 この一帯は、広島城大手郭(外郭)跡です。 説明板には、 広島城は、安土桃山時代に中国地方一帯を領していた毛利輝元が、瀬戸内海へと流れ込む太田川の三角州に築いた平城です。 天正17年(1589年)に築城が開始…

お彼岸、お墓参りに行ってきました。建設中のサッカースタジアムが目に入りました。

3月18日から、彼岸の入です。 19日、ウォーキングを兼ねて、 寺町と大手町のお墓参りに行ってきました。 バス停でバスを降りて国道54号線から寺町に入りますと、 建設中のサッカースタジアムが真っ正面に見えてきます。 本川を挟んで、広島城の西の防…

多家神社は「誰曽廼森(たれそのもり)」に鎮座されています。

神武天皇が、当地の者に「曽は誰そ」とお尋ねになられました。 そのことから、広島県府中町のこの森のことを「誰曽廼森(たれそのもり)」といいます。 現在の多家神社(安芸郡府中町)は、「誰曽廼森」に、鎮座されています。 多祁理宮あるいは埃宮に神武天皇の…

多家神社の宝蔵、日本に残る唯一の建物です。そして、唯一現存します広島城内の建物です。

広島市の東部に隣接します安芸郡府中町の多家神社には、 広島城三の丸稲荷社の社殿が、明治7年(1874年)移築されています。 校倉造りです。 宮司さんともお話が出来て、 説明板にも書いてありますように、 一般的な校倉造りは、三角形に近い五角形の校木で組…

多聞院にあります頼家(らいけ)の墓です。とても珍しいお墓です。

多門院には、頼家(らいけ)の墓があります。 頼家は、江戸時代後期に「日本外史」を著しました頼山陽をはじめ多くの学者が出しました学問の家です。 頼山陽の両親、頼春水、梅颸(ばいし)をはじめ他に、大小30以上のお墓が並んでいます。 頼山陽のお墓は、京…

赤穂浪士原惣右衛門元辰の供養墓です。

元禄14年3月14日、勅使御馳走役浅野内匠頭、江戸城松之廊下にて吉良上野介に刃傷に及ぶ といえば、忠臣蔵です。 赤穂浪士四十七士の一人、原惣右衛門元辰の供養墓が広島のとうかさん圓隆寺にあります。 浅野内匠頭が刃傷に及んだその日のうちに、早駕籠…

えべっさんの帰り道、とうかさん圓隆寺に!

先週の土曜日、3年ぶりに賑わっていますえべす講の帰り道、今年はえべっさん賑わってるなぁって思いながら、しみじみと中央通りを南下しました。 今年もあと少しと晩秋のころ歳末より少し早いバーゲンセールで街中が活気づきます「えべっさん」、同じ中央通…

今高野山、龍華寺再建しました広島藩主浅野綱長公の並々ならぬ思いは?

広島県世羅郡世羅町甲山の1200年の歴史を持ちます今高野山です。 歴史のうつろいとともに幾度の波に呑まれながらの今日がありますね。 歴史教科書の中での、荘園制度、院政等々、実感することなくただ暗記科目として通り過ぎていました。 知らなかったことだ…

広島の「天神町の天神さん」、原爆から復興の一歩を踏み出しました。

広島市中区中島町、 広島広島平和記念資料館前の噴水の前の平和大通りよりの南のすぐそばに、 ビルに囲まれた所に、 天満神社があります。 この辺りは、以前は天神町と呼ばれていたそうです。 天満神社は、掲示板によりますと、 御祭神は、菅原道真大神です…

広島県立美術館、「皇室の美と広島」。伊藤若冲「旭日鳳凰図」鑑賞しました。

今、広島県立美術館で開催されています。 「皇室の美と広島」(2022年9月16日から10月30日まで)に行ってきました。 先週9月30日金曜日、出かけまして夕方4時過ぎ人とえびす通りで別れ、広島三越前からバスに乗って帰ろうかと思いましたら、 今日は金曜日、確…

広島市中区廣瀬神社です。

広島市中区広瀬町にあります廣瀬神社です。 広瀬町は電車通りを挟んで広島市中区寺町の対角線上にあります。 神社を出ますとすぐ国道(183号線)です。 車で走っていますと、街中でも木々がなんとなく茂っていますとそこには大抵神社があります。 どんなに、…

かつては広島湾に浮かぶ島、仁保島の鎮守としての邇保姫神社です。

広島市南区西本浦町の邇保姫神社です。 毛利輝元が広島の地に築城したころは、現在の広島市はほとんど広島湾で海でした。 福島正則公が広島の城下町の骨格を作り、広島藩浅野氏の時代には埋め立てられて新開地ができ現在の広島市は形成されてきました。 今は…

住吉橋のそばの水主町地蔵尊です。

住吉橋のすぐそばに「水主町六地蔵尊」が鎮座されています。 顎なし隠岐地蔵尊(歯痛) 子安地蔵尊(安産・子宝の恵み) 延命地蔵尊(長生き) 子育地蔵尊(学問) 賽河原地蔵尊(極楽ゆき) 伊豫立江(りつえ)地蔵尊(伊豫立江伝来) の六地蔵尊に加えて、 …

住民の熱い思いで架かりました「住吉橋」です。

本川を挟む住吉橋です。 江戸時代、浅野藩の頃は広島城防衛のために架橋は許されず往来は渡し船のみだったそうです。 明治43年(1910)、本川(旧太田川)を挟む両地元住民有志の出費を基に木造架橋が完成したそうです。 住民の思いから橋の袂に「記念塔」が建立…

いのちの根源、水の神様のすみよしさん(住吉神社)にお参りしてきました。

住吉神社にお参りしてきました。 頂きました参拝の栞より 栞には、 「いのちの根源、水の神」とあります。 御祭神は、表筒男命(うわつつのおのみこと) 中筒男命(なかつつのおのみこと) 底筒男命(そこつつのおのみこと) です。 御由緒は、 亨保18年(1733)に住…

東都交代連中、参勤交代に参加した藩士たちのことだそうです。

早稲田神社の狛犬です。 天保十一年庚子 九月吉旦 東都交代連中 と記されています。 参勤交代に参加した広島藩士連中が職務安全遂行を祈って寄贈された物だそうです。 私たちは参勤交代と習って、一般的にそう言いますけど、 大名が将軍に謁見します参勤は、…

安芸武田氏ゆかりの神社「早稲田神社」です。

広島市東区牛田の早稲田神社です。 安芸国守護、銀山城主武田元繁が1511年創建しました早稲田八幡神社です。 武田山とは太田川を挟んで、アストラムラインの牛田駅より1キロ4~500メートルくらいはありますかね牛田早稲田にあります。 携帯のナビで…

広島市東区、狐瓜木(くるめぎ)神社です。鶯が鳴いています。

広島市東区戸坂くるめ木にあります狐瓜木(くるめぎ)神社です。 安芸大橋から広島県道37号線広島三次線を太田川の下流に向かって歩きますとすぐ、 左側に住宅街の中に、こんもりと杜が見えてきます。 たぶんそこでしょうと目指して行きますと、 狐瓜木神社に…

広島市元宇品にあります観音寺の樹齢400年の広島椿です。

広島市南区元宇品にあります観音寺です。 観音寺には、元宇品に入りますとすぐに道が分かれ、左に行きますと広島プリンスホテルに着きたどり着けません。 右に真っ直ぐ進み、元宇品小学校正門前からすぐです。 元宇品の右側真っ直ぐ進みますととても懐かしい…

安芸国鎮守府速谷神社の御由緒です。とても厳かな気持ちになりました。

安芸国鎮守府速谷神社の 御由緒です。 神社の社務所で頂いた栞によりますと、 〈御祭神〉 飽速玉男命(あきはやたまおのみこと) 〈御由緒〉 御祭神は、天孫降臨のときに随伴した三十二の神の一柱である天湯津彦命(あめのゆつひこのみこと)五世の御孫神です。…

浅野家の家紋「丸に違い鷹の羽」

三次の鳳源寺に、屋根を葺き替えた時の古い鬼瓦がありました。 建立されたときのものでしょうか。 身長の高さほどあります。 お寺のお堂を下から見上げるとそこまで大きく感じられないのですけど、目の当たりでみますととても大きく立派です。 浅野氏の有名…

三次、鳳源寺内にあります稲荷大明神です。

鳳源寺内に、神社の鳥居があります。 どうも、私たちは明治時代に発令された「神仏分離令」で、 お寺と神社は元々の姿からバラバラにされたものと思っています。 寺院の中にありますとどこか、ほっとします。 ところが、どうでしょう。 立て札には、 稲荷大…

三次藩の礎を築きました浅野因幡守長治公

三次鳳源寺境内の中にありました「浅野長治公之像」です。 浅野因幡守長治(1614~1675) 広島浅野藩主長晟の長男として生まれ、寛永9年(1632年)広島浅野藩より5万石を分封され、初代藩主として三次浅野藩を立藩。 その名君ぶりは水害に悩まされる河川堤防造…