広島針、私の裁縫箱覗いてみますと入ってます。
少し前に久しぶりに針を買いに行きますとコルクにプラスチックケースに入っておしゃれになってる!って思いました。
入れ物もさることながら、縫い針としては最高で布のもつ繊維を壊すことなくすっと針が入っていきます。針がしなるって感じです。
小学生の社会で、広島の産業で「広島針」と必ず習います。
私、広島貧乏だったから、武士も貧乏だったから内職してたなんて、子供の頃とはいえ勝手なこと言ってました。
きちんともう一度調べてみますね。
広島針は手縫い針の生産量国内シェア9割以上と言われています。
約300年前、広島藩主浅野氏が長崎から針職人木屋治左衛門を連れてきたことから、下級武士が生活の糧に内職として製針を習いに来たことから始まります。
子供の頃、貧乏だからと乱暴な言い方してましたが、あながち間違いではなかったです。
中国山地の芸北地域は砂鉄地帯で「たたら製鉄」で製造された鉄を広島に送り、針を製造させてたそうです。
(そういえば、広島城で芸北の刀工石橋正光の刀が展示してあったのを思い出しました。)
広島藩は「たたら製鉄」を掌握することによって、広島の産業として針は京都や大阪の問屋に卸してました。
ただし、京都産ブランドとして売られてたそうです。江戸時代でしたら広島産では売れなかったんですかね。
なんだか残念!
しかし現代では「広島針」として広島産ブランドとして君臨してます。
およそ300年前と言いますと、ちょうど第8代将軍吉宗の頃で、幕府の財政の再建として「亨保の改革」が行われた頃です。
広島藩も財政立て直しで藩が持ってる「たたら製鉄」のノウハウを活かしたものということで考えたんでしょうね。