いよいよ本丸下段から上段へ登っていきます。
かなりの広大な空き地で、目に入るのは
軍施設跡です。
今回は、軍都広島を語るつもりないので、大本営が置かれてましたとだけ書きます。
あっ!そうそう!ひとつだけ
輝元からずっと、さらに幕末も広島藩は官軍についたのでお城は無傷でしたのに、1945年8月6日原爆で何もかもなくなったわけなんですが、
戦後13年経った昭和33年には広島城は復元してます。
たった13年でですよ。ボロボロになっても立ち上がろうとする先輩たちの姿、誇りに思います。
名城100選にも選ばれてます。
ただ、ずっと疑問に思ってたんですけど、復元と復興とは全く意味が違ってて、
原爆で天守閣は失われたのに図面は残ってたんだろうか?
図面は三次辺りに置いてた?
図面がないと復元にはならないはずです。
今回広島城行ってみて解決しました。
陸軍が広島城を正確に測量してたらしいです。当時の写真とその測量とで、
中はコンクリートで、外観は宮大工さんとで施工されたそうです。
建築工法が違うので当時の天守閣柱下の礎石、復元天守閣に埋もれてはいけないのでそのまま移されてます。
お決まりですが、天守閣に登ってきました。
10月14日まで広島城企画展で「えがかれた江戸時代の広島」が催されてます。
浅野氏が入城してから400年随分広島は変わりましたよ。
第一、私が天守閣登ることなど当時では決して許されなかったです。それどころか二の丸すら入れなかったでしょう。
でも今は許されてます。だから体いっぱい感じ取ろうと思ってますよ。
最後に、私の最も好きなところを紹介しますね。
天守閣見学がすみましたら、来た道戻らないでお城の東側に行きます。
先程説明した礎石のある方です。
苔むした石垣がなんとも言えなくて、お城がすぐ近くにもかかわらず人影はあまりなくて、
古い木のベンチや石のベンチがあります。
そこに座ってぼーっとするのが好きです。
気がつけばお琴の調べが鳴り出しました。
天守閣閉館の時間です。
スマホを覗き込むと5時です。
そろそろ帰るとしますね。