広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

浅野氏広島城入城400年⑸

いよいよ本丸下段から上段へ登っていきます。

かなりの広大な空き地で、目に入るのは

軍施設跡です。

今回は、軍都広島を語るつもりないので、大本営が置かれてましたとだけ書きます。

あっ!そうそう!ひとつだけ

輝元からずっと、さらに幕末も広島藩は官軍についたのでお城は無傷でしたのに、1945年8月6日原爆で何もかもなくなったわけなんですが、

戦後13年経った昭和33年には広島城は復元してます。

たった13年でですよ。ボロボロになっても立ち上がろうとする先輩たちの姿、誇りに思います。

f:id:sobanikutama:20190924041130j:image名城100選にも選ばれてます。

ただ、ずっと疑問に思ってたんですけど、復元と復興とは全く意味が違ってて、

原爆で天守閣は失われたのに図面は残ってたんだろうか?

図面は三次辺りに置いてた?

図面がないと復元にはならないはずです。

今回広島城行ってみて解決しました。

陸軍が広島城を正確に測量してたらしいです。当時の写真とその測量とで、

中はコンクリートで、外観は宮大工さんとで施工されたそうです。

f:id:sobanikutama:20190924044534j:imagef:id:sobanikutama:20190924044556j:image建築工法が違うので当時の天守閣柱下の礎石、復元天守閣に埋もれてはいけないのでそのまま移されてます。

f:id:sobanikutama:20190924042225j:imagef:id:sobanikutama:20190924042256j:imageお決まりですが、天守閣に登ってきました。

10月14日まで広島城企画展で「えがかれた江戸時代の広島」が催されてます。

浅野氏が入城してから400年随分広島は変わりましたよ。

第一、私が天守閣登ることなど当時では決して許されなかったです。それどころか二の丸すら入れなかったでしょう。

でも今は許されてます。だから体いっぱい感じ取ろうと思ってますよ。

 

最後に、私の最も好きなところを紹介しますね。

天守閣見学がすみましたら、来た道戻らないでお城の東側に行きます。

先程説明した礎石のある方です。

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苔むした石垣がなんとも言えなくて、お城がすぐ近くにもかかわらず人影はあまりなくて、

古い木のベンチや石のベンチがあります。

そこに座ってぼーっとするのが好きです。

気がつけばお琴の調べが鳴り出しました。

天守閣閉館の時間です。

スマホを覗き込むと5時です。

そろそろ帰るとしますね。