広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

史跡探索

広島城天守閣、博物館「THE KOSHIRAE]催されていました。

広島城天守閣は、博物館になっています。 甲冑や刀剣、武士の生活など常時展示してあります。 その中でも福島正則公の「呑み取りの槍」で有名な「日本号」の写しが常時展示してあります。 一言で写しと言っても、全く引けをとる物ではなく槍の穂に施された細…

熊岡神社、安芸国の守護武田太郎左衛門元繁により銀山城守護神として武田家一門の崇敬した神社です。

広島市安佐南区祇園にあります「熊岡神社」です。 可部街道の西原8丁目の信号の三叉路を西に伸びていますこの道路を産業道路といいます。 この産業道路を進みますと武田山が迫ってきます。 武田山麓に「熊岡神社」があります。さらに進みますと武田山に面し…

博多、筥崎宮にあります小早川隆景が造営した楼門の「敵國降伏」の意味に感動しました。

三原へ行きますと、小早川隆景公一色で、随分慕われていたのが伝わりました。 そういえば、一昨年博多の筥崎宮に姪に案内してもらったとき、 楼門を小早川隆景が造営したと記してあったのを思い出しました。 幼い毛利輝元を吉川元春とともに支えて瀬戸内海を…

三原城、かつての名城、小早川隆景に思いを馳せて!歩いてみました。

小早川氏城跡 国指定史跡三原城跡です。 天守台上には三原駅構内から入ることができます。 三原市内が臨めます。天守閣があればもっと一望でき瀬戸内海も臨めたでしょうね。 慶応年間の三原城絵図をもとに彫刻された壁画が三原駅構内に展示されていました。 …

三原の神明大だるま、「日本一」でっかい!三原神明市、これ見んとね!

三原の「日本一」の神明大だるまですよ。 「隆景広場」からず~と露天に沿って歩いた先にあります。 四代目神明大だるまです。平成25年に半世紀ぶりに新調されて、顔もなんだか人懐っこくなってます。 高さ3.9m、廻り(直径)2.9m、重さ約500kgで、三代目より…

広島県産業奨励館、現在の原爆ドームです。

平和公園歩いてますと、原子爆弾が投下される前の原爆ドームこと広島県産業奨励館の写真が掲示してあります。 写真をよく見ますと、リアカーを押している人、引いている人が写ってます。 雁木には小舟が停泊してます。 どこかのどかです。 広島県物産陳列館…

史跡広島城跡

史跡広島城跡 指定 昭和28年3月31日 史跡指定地 本丸跡、二の丸跡、堀およびその周辺 別名 鯉城(りじょう)・在間城(ざいまじょう) 形状 太田川河口の低湿なデルタ上に築かれた大規模な輪郭式の平城 沿革 1589年(天正17年) 毛利輝元 築城工事に着手 1591年(天…

広島二葉山山麓「七福神めぐり」饒津神社から聖光寺まで(二葉の里、歴史の散歩道)

二葉の里には、もう一つ[七福神めぐり」があります。 小学生のお嬢さんとお母さんが回られてました。とても楽しそうに回られてましたよ。 私は、歴史探索をかねて回りましたのをまとめて一気に紹介しますね。 まず、饒津神社、恵比須天です。私たち、これは…

聖光寺、広島藩幕末の志士 高間省三「皇国の興廃は今日にあり」(二葉の里、歴史の散歩道)

聖光寺には、もう一人広島藩の武士で幕末の志士、高間壯士之碑と高間省三正忠之墓があります。 大石内蔵助親子のお墓にばかり注目を浴びていますけど、 この二葉の里を歩きましたのも、このお墓にお参りしたいとの思いもありました。 広島護国神社の筆頭祭神…

加賀のお姫様、広島藩主浅野光晟正室満姫の菩提寺國前寺(二葉の里、歴史の散歩道)

國前寺(本尊:釈迦如来)です。 広島駅新幹線口から15分も歩けば、國前寺にたどり着きます。 私は、今回は広島東照宮から尾長天満宮、そして國前寺に来ました。 石碑の詩にありますように、加賀の姫 自昌院とは、 加賀藩主前田利常のお姫様で、三代将軍家光…

尾長天満宮、尾長山の麓に菅原道真が太宰府に下る際休息されました。(二葉の里、歴史の散歩道)

二葉の里にあります、学問の神様、尾長天満宮です。 菅原道真が太宰府に下る途中、尾長山の麓に船を寄せ、この山に登って休息したと伝えられ、その場所に小祠が建てられたそうです。 陸路ではなく、海路だったんですね。 醍醐天皇の治世の折、出世を続け右大…

東照宮御遺訓参道、登りつめました先には絶景が臨めます。(二葉の里、歴史の散歩道)

広島東照宮参拝すませましたら、奥へ進みますと 金光稲荷神社があります。 奥宮まで行ってみようと思います。 御遺訓参道、東照公遺訓 「人の一生は重荷を負いて、遠き道をゆくが如し、急ぐべからず」 ゆっくり行きましょう。 5分ばかり登りますと 東照宮遺…

広島東照宮にあります「旌忠碑」、ここに明治の広島がありました。(二葉の里、歴史の散歩道)

広島東照宮に明治の広島がありました。 西南戦争「旌忠碑(せいちゅうひ)」について この「旌忠碑(せいちゅうひ)」は、明治10(1877)年2月に明治新政府と西郷隆盛を首領とする鹿児島士族らとの間に生じた「西南戦争」で亡くなった広島鎮台兵の顕彰と慰霊の…

広島東照宮、城下町広島の総鎮守です。(二葉の里、歴史の散歩道)

広島東照宮です。 城下町広島の総鎮守 御祭神 東照大権現(徳川家康) です。 頂いたパンフレットによりますと 徳川幕府3代将軍家光は、初代家康公を祀るため、全国有力諸大名の領地に東照宮建立を勧めたそうです。 浅野2代藩主光晟の生母振姫(ふりひめ)は家…

鶴羽根神社、パワースポットだそうです。(二葉の里、歴史の散歩道)

明星院よりほんのわずか100mばかり進みますと、 鶴羽根神社にたどり着きます。 御祭神は 妹背二柱の神 伊邪那岐命(イザナギノミコト) 伊邪那美命(イザナミノミコト) 八幡三神 帯中津日子命(タラシナカツヒコノミコト) 品陀和氣命(ホンダワケノミコト) 息…

広島藩浅野宗家と忠臣蔵(二葉の里、歴史の散歩道)

今週の土曜日12月14日、赤穂浪士討入りの日ですね。 元禄14(1701)年、江戸城内の松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけ、刃傷沙汰を起こしてしまいます。赤穂藩主の浅野内匠頭は切腹、お家は断絶。 吉良上野介はおとがめなし。 元禄15年12月14日、家臣…

明星院、広島城からみますと鬼門にあたりますところにあります。藝州広島藩主祈願寺(二葉の里、歴史の散歩道)

饒津神社を出まして、隣接するように月光山明星院あります。 と言いましても、広島駅北口へ繋がる二葉通り(県道84号線なんですね)を車で走りますと奥まってわからないです。 もとは毛利輝元の生母、妙寿院の位牌所で、南光月素月山妙壽寺(臨済宗)だったそう…

饒津神社、参道壮大な松並木、、、だったそうです。あの日までは(二葉の里、歴史散歩道)

饒津神社、創建時に黒松を植栽し参道は壮大な松並木だったそうです。 昭和20年8月6日、20数本ありました黒松、熱風、爆風によって損傷・倒木の被害を受けましたが、十数本の松は生き延びたそうです。 その後最後の一本となり、平成15年1月枯死に至ったと記し…

饒津神社クイズ、饒津神社なんと読む?(二葉の里、歴史散歩道)

牛田方面から、とぼとぼ歩いてみました。 饒津神社の社殿に沿って擁壁が設けてあり、壁に阻まれて歩道より見上げても社殿は見えません。 やがて参道が道路に平行して見えてきます。 右折して饒津ガード下をくぐりますと広島駅南口へ 神社に沿って左折します…

被爆樹木イチョウ、お寺の門の屋根突き抜けてます。被爆建物「安楽寺」(二葉の里、歴史の散歩道)

新牛田大橋から白島側の河川敷を東に進みますと神田橋が架かってます。 この神田橋は、車道橋と人道橋の二本架かっています。 神田橋の人道橋を渡りまして右に折れまして東にわずか一区画歩きますと安楽寺の案内板に遭遇します。 案内板にしたがって、北へと…

八剣神社、広島城主二代目の福島正則公唯一の治世の史跡です。(二葉の里、歴史の散歩道)

牛田大橋南側に、小さな祠があります。 小さくても凜と誇らしげに鎮座されてます。 地元の人に大事にされているのがわかります。 広島城主二代目の福島正則公唯一の治世の史跡です。 広島の城下町を形成し、西国街道、雲石街道など広島への交通の便も確保し…

碇(いかり)神社、白島町この辺りも海でした。(二葉の里、歴史の散歩道)

牛田大橋南詰めより県道37号線をわずかに南下しますと碇神社があります。 白島の氏神社、城下町最古の社です。 御祭神は大綿津見神(おおわだつみのかみ)、海の神様です。 神社にありました、15世紀の地図をみますと青い海のところ今では陸でしてすべて広…

工兵橋(二葉の里、歴史の散歩道)吊り橋の人道橋です。

工兵橋、旧広島市で唯一の吊り橋です。 旧太田川から猿猴川の分岐点には、新こうへい橋が架かっていて、国道54号線でアストラムラインの高架と並行して交通の要となっています。 それより、猿猴川わずかに下流へ歩きますと、吊り橋の人道橋、工兵橋があり…

親日山安国寺不動院、紅葉色づきました。衝動的に行ってきました。

あらまぁ、昨日になりましたね。 昨日、11月最後の日、30日土曜日の昼下がり、 お昼から、眼科に行くついでに、 紅葉に色づいた不動院行きたくなってちょっと行ってきました。 と言いましても、眼科は家から歩いてすぐなのですが、病院横目に見ながら通り過…

入船山記念館、「旧東郷家住宅離れ」休憩所になってます。

入船山記念館見終わりましたら、少しベンチにでも腰掛けて休みたいですね。 でも、ベンチはどこにもないです。 その代わり、旧東郷家住宅離れ、休憩所になってます。 なんて粋なことを 縁側に腰掛けて足伸ばしてホッとしますと、 目に入り込むのが とても手…

日本海軍が開発した四十五口径十年式十二糎高角砲の砲身、入船山記念館

入船山記念館、 四十五口径十年式十二糎高角砲は、日本海軍が開発した高角砲だそうです。 この砲身は呉海軍工廠砲火工場跡の地中から発見されたとあります。これは実戦では使われる前に終戦を迎えたのですかね。 それでも、 映像でしか見たことのない高角砲…

旧高烏砲台火薬庫(国登録有形文化財)、石造りの珍しい建築様式です。

旧高烏砲台火薬庫、 移築されて入船山記念館に展示してありました。 石造りを基本構造としつつトラス架構で瓦葺き屋根を支えるといった珍しい建築様式。 とあります。 建築のこと全くわからないのですが、このトラス架構とは何でしょう。 ちょっと調べてみま…

旧呉海軍工廠塔時計、今でも時を刻んでます。

書く順番が前後しましたが、入船山記念館に来ますとまず目に入りますのがこの時計です。 旧呉海軍工廠塔時計、今でも時を刻んでいます。 時代も変わり、ところも変わり、戦前戦後呉の街をさらに広島をそして日本の時を刻んできました。 なんだか、 ユーミン…

番兵塔、足元の礎石すり減ってます。

入船山記念館の旧鎮守府司令長官官舎に入る門の前に番兵塔が設置してあります。 昼夜を問わず立哨が行われていたため、足元の礎石がすり減っていますとあります。 確かにすり減ってます。 ずっと立って警備してたんですよね。 もしも、私、哨兵に任命された…

入船山記念館 旧呉鎮守府司令長官官舎 歴史の森の精もですが八幡さんにも守られてました。

呉鎮守府開庁130周年です。 入船山記念館訪ねてきました。 入船山記念館は、飛鳥時代の大宝3(703)年に呉浦の総氏神である亀山神社の鎮座地と定められたといわれているところに建ってます。 明治22(1889)年7月、呉鎮守府が開庁しました。 明治25(1892)年…