広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

広島城外堀、明治に埋め立てられ取り壊された櫓、塀、地下街工事のとき発掘されました。オブジェとして見ることできますよ。

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鯉城通り、紙屋町交差点の北東側、地下街シャレオから広島県庁へつながる空間です。

通り道に過ぎない地下街への通路に比べてここは、静かで余裕すら感じられ私は好きです。

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広島城の発掘された石垣があります。

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当時のニュースで紹介されていました。

何年前になりますかね?当時主人も工事に関わってましたね。

もちろん、この史跡とは別のところですよ。

地下商店街シャレオの東西線にあたるところで、電車が通ってバスや車の往来の激しいところです。

発掘箇所よりもう少し東側は八丁堀界隈です。

地名でお堀と言うことがわかりますね。

お堀は、明治に入って埋め立てられ道路となり櫓や塀は取り壊されたものが、この工事で発掘されました。

高校生の頃ですかね、三越広島支店辺りを歩いてまして、ふと今自分が歩いているところ昔の人も同じように歩いてたんだろうななんて思ったことあります。

なんでそんなこと思ったのか前後の記憶がないのですがそんなこと考えたことあります。しかし当時どんなか想像もできずイメージもわきませんでしたね。

それでそのことはすっかり忘れていたのですが、今やっとなにがし私なりに想像することができます。

お城を囲むように外堀は一部本川をそのまま利用してお堀を作り、お堀の水は本川から流れよどむことなく外堀の水は流れていたのでしょう。

お城に入城するのは外堀の東側で京口門からだったでしょうから、この南側は櫓と塀が建ち並びそれはなかなかの荘厳でしたでしょうね。

外堀の塀は二の丸にあるような石垣でできたものではなくて、石垣は下のところだけで上側は土塁で漆喰で塗られていたそうです。

立町辺りに立って外堀をイメージしてみるとまるで別の街です。

 

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