京口門を出て、いよいよ京橋まで来ました。
京橋です。流れてる川はそのままで京橋川です。
京橋がどんなにか大事な橋かわかりますね。
広島駅から八丁堀までバスや電車でしたらぐるっと回りますが京橋から歩くと近いので昔はよく渡った橋です。
毛利輝元が1591年入城する際木橋が架けられたそうです。城下から京に向かう出発点ということで京橋としたそうです。
現在は広島は川が多くていたるところに橋が架かってます。
しかし江戸時代は防備のため限られたところしか橋はなかったです。その内の一つです。
これより京に続くのかと思うとはるか遠くても、気持ちだけは京へ飛んでいきそうですね。
明治に入り広島に大本営が設置された時があります。
その折明治天皇はこの京橋を通られて大本営のしかれた広島城に入られたそうです。
私が今回通ってきた道を反対に京橋から京口門へ輝元も福島正則も浅野長晟もそして明治天皇も最初にまずは通られたんですね。
なんだか感慨深いです。
今の橋は昭和2年架け替えられたそうです。
「昭和2年6月竣成」とあります。
当時は飾りがありなかなか華やかだったらしいのですが、猿猴橋と同じで戦争中、戦禍が激しくなりお寺の鐘とかが軍に供出された話はよく聞きますが、それと同じでこの橋の飾りも供出されたそうです。
京橋はどんな橋だったんでしょうかね。
この橋は原子爆弾にも耐えて、多くの被爆者の人たちを避難させ、多くの救護隊を送ったことでしょう。
もしも、この橋を始め原爆に耐えた橋が陥落してたら被害者は膨大な数増えてたと思います。
そして今、橋が架け替えららてから100年近くたってます。なお現役で車も人も通してます。
今更に、日本人の高度な技術力には感服します。
当たり前に今までは思ってましたが、改めて見ると痛々しくて風雪にも耐えたんかな?って愛おしくなってしまいました。