広島藩
広島市中区立町にあります中の棚商店街、 本通りではなくて、こっち通ろうかしらって気が向くままよく通ります。 とうかさんの帰り道も、中の棚のお稲荷さんにご挨拶もかねて通りました。 (このことは、一昨日にも書きましたね) 江戸時代、中の棚の前身であ…
元安橋から見る原爆ドームです。 お昼の賑わいも嘘のようです。 元安橋は毛利輝元の時代から架かっていました。 原爆ドーム辺りは、旧住所では、猿楽町、細工町といいます。 能楽師や楽器の細工師がたくさんいた町です。 謡曲や能のはやしが聞こえたでしょう…
とうかさんといえば、 竹の柄で組んでありますうちわです。 クーラーもいいです、もちろん扇風機でも、 それでも、私が物心ついた頃から買っていました 絵柄も変わらないこのうちわで仰ぐのが、我が家流です。 どんな大きな顔も隠れるこのうちわ、 竹がいい…
広島市南区稲荷町の稲生神社のお守りぎつねです。 1733年(亨保18年)、神社周辺4町で大火災発生するが神社は火災から免れたそうです。 この時、白狐より町の千穏と五穀豊穣、商売繁盛を願い安住したいというお告げがあり鎮守されたと言い伝えられています。 …
稲生神社は、 広島市南区の南区七大伝説の一つ、 先日の河童猿猴伝説に次いで「妖怪伝説」のある神社です。 稲生神社は、 三次の妖怪話として有名な稲生物怪録(いのうもののけろく)! 妖怪を退散させた稲生武太夫(いのうぶだゆう)が祭られています神社です。…
広島駅前大橋から駅前通りを走ってきますと広島市南区稲荷町で電車の路線とぶつかります(現在行われている駅前再開発で電車の路線は大きく変わるみたいです)。 電車の路線に沿って大きく右に曲がりますと道路の反対車線側に赤い鳥居が連なっています稲生神…
今週のお題「お花見」 比治山の御便殿跡です。 お花見によく来たところです。 桜の木の下でシートをひいてお花見する光景は今も昔も同じですね。 ただ違うのは、 私が子供の頃は、御便殿跡の基礎部分が残っていて、 私の記憶では、子供の背丈より高くて四方…
広島基町クレド、パセーラ前ふれあい広場です。 この一帯は、広島城大手郭(外郭)跡です。 説明板には、 広島城は、安土桃山時代に中国地方一帯を領していた毛利輝元が、瀬戸内海へと流れ込む太田川の三角州に築いた平城です。 天正17年(1589年)に築城が開始…
広島市城南通りの歩道から見た広島グリーンアリーナです。 携帯の地図アプリでは、ちょうど私が立っていますこの位置が「広島城三の丸稲荷社跡」となっています。 この日は、コンサートですか? アリーナの周りには若い人達が多く集まっておられました。 み…
広島市城南通りを挟んで、南側に広島グリーンアリーナこと広島県立総合体育館があります。 地下道を通って体育館方面に上がってきて、 外気に触れると同時に広島城の石積みに出会えます。 思わず石垣に寄りかかりたくなります。 広島県立総合体育館建設工事…
広島市寺町から本川の河川敷の遊歩道を歩いて行きますと、 空鞘橋(そらざやばし)があります。 川上から見ました空鞘橋です。 東へ渡りますと城南通りへと繋がって広島駅前、比治山通り、段原を経て国道2号線、さらに進み宇品で広島南道路へと繋がっています…
3月18日から、彼岸の入です。 19日、ウォーキングを兼ねて、 寺町と大手町のお墓参りに行ってきました。 バス停でバスを降りて国道54号線から寺町に入りますと、 建設中のサッカースタジアムが真っ正面に見えてきます。 本川を挟んで、広島城の西の防…
神武天皇が、当地の者に「曽は誰そ」とお尋ねになられました。 そのことから、広島県府中町のこの森のことを「誰曽廼森(たれそのもり)」といいます。 現在の多家神社(安芸郡府中町)は、「誰曽廼森」に、鎮座されています。 多祁理宮あるいは埃宮に神武天皇の…
広島市の東部に隣接します安芸郡府中町の多家神社には、 広島城三の丸稲荷社の社殿が、明治7年(1874年)移築されています。 校倉造りです。 宮司さんともお話が出来て、 説明板にも書いてありますように、 一般的な校倉造りは、三角形に近い五角形の校木で組…
広島市城南通りの空鞘橋西詰めから見ましたサッカースタジアム建設現場です。 スタンドの骨組みが出来ていました。 広島城の西側で中央公園に建設されています。 建設にあたって、 埋設物文化財発掘調査が行われ、 旧陸軍施設の被爆遺構が発掘されさらにその…
広島市中区中町にあります単立(顕本法華宗)光瓊山本照寺です。 平和大通りを挟んで南側にあります。 御朱印を頂きましたときお話を聞きましたところ、関ヶ原の戦い以降にこちらに創建されましたと言われました。 福島正則の家臣がこの地に創建されたとも言わ…
多門院には、頼家(らいけ)の墓があります。 頼家は、江戸時代後期に「日本外史」を著しました頼山陽をはじめ多くの学者が出しました学問の家です。 頼山陽の両親、頼春水、梅颸(ばいし)をはじめ他に、大小30以上のお墓が並んでいます。 頼山陽のお墓は、京…
元禄14年3月14日、勅使御馳走役浅野内匠頭、江戸城松之廊下にて吉良上野介に刃傷に及ぶ といえば、忠臣蔵です。 赤穂浪士四十七士の一人、原惣右衛門元辰の供養墓が広島のとうかさん圓隆寺にあります。 浅野内匠頭が刃傷に及んだその日のうちに、早駕籠…
先週の土曜日、3年ぶりに賑わっていますえべす講の帰り道、今年はえべっさん賑わってるなぁって思いながら、しみじみと中央通りを南下しました。 今年もあと少しと晩秋のころ歳末より少し早いバーゲンセールで街中が活気づきます「えべっさん」、同じ中央通…
広島県世羅郡世羅町甲山の1200年の歴史を持ちます今高野山です。 歴史のうつろいとともに幾度の波に呑まれながらの今日がありますね。 歴史教科書の中での、荘園制度、院政等々、実感することなくただ暗記科目として通り過ぎていました。 知らなかったことだ…
何だか気になる。 頂いたせんべい、これは? とっても気になります。 お店訪ねていきますと、想像以上のとても引き寄せられます。 広島市中区堺町、 広島平和公園から本川挟んでいくらもかからない市街地にあります 「頼山陽煎餅本舗 藝陽堂」です。 お店に…
広島市中区中島町、 広島広島平和記念資料館前の噴水の前の平和大通りよりの南のすぐそばに、 ビルに囲まれた所に、 天満神社があります。 この辺りは、以前は天神町と呼ばれていたそうです。 天満神社は、掲示板によりますと、 御祭神は、菅原道真大神です…
原爆ドームと折り鶴タワーの間の通りに、 被爆地蔵尊がおられます。 浄土宗西蓮寺 御本尊様は、阿弥陀如来様です。 創建、慶長10年(1605)です。 お地蔵さま、福島正則公が広島藩主の時代からおられるのでしょうかね。 昭和20年8月6日午前8時15分、 原爆の熱…
今、広島県立美術館で開催されています。 「皇室の美と広島」(2022年9月16日から10月30日まで)に行ってきました。 先週9月30日金曜日、出かけまして夕方4時過ぎ人とえびす通りで別れ、広島三越前からバスに乗って帰ろうかと思いましたら、 今日は金曜日、確…
安芸高田市吉田の恵比須社の隣の、浄土真宗本願寺派高林坊です。 広島県指定 重要文化財「高林坊銅鐘」です。 「高林坊銅鐘」は、 建武2年(1335年)鋳造の銅鐘で、南北朝時代の標準的名鐘といわれているそうです。 この鐘はもと石室寺にかけられていたもの…
広島市南区西本浦町の邇保姫神社です。 毛利輝元が広島の地に築城したころは、現在の広島市はほとんど広島湾で海でした。 福島正則公が広島の城下町の骨格を作り、広島藩浅野氏の時代には埋め立てられて新開地ができ現在の広島市は形成されてきました。 今は…
住吉橋のすぐそばに「水主町六地蔵尊」が鎮座されています。 顎なし隠岐地蔵尊(歯痛) 子安地蔵尊(安産・子宝の恵み) 延命地蔵尊(長生き) 子育地蔵尊(学問) 賽河原地蔵尊(極楽ゆき) 伊豫立江(りつえ)地蔵尊(伊豫立江伝来) の六地蔵尊に加えて、 …
本川を挟む住吉橋です。 江戸時代、浅野藩の頃は広島城防衛のために架橋は許されず往来は渡し船のみだったそうです。 明治43年(1910)、本川(旧太田川)を挟む両地元住民有志の出費を基に木造架橋が完成したそうです。 住民の思いから橋の袂に「記念塔」が建立…
住吉神社にお参りしてきました。 頂きました参拝の栞より 栞には、 「いのちの根源、水の神」とあります。 御祭神は、表筒男命(うわつつのおのみこと) 中筒男命(なかつつのおのみこと) 底筒男命(そこつつのおのみこと) です。 御由緒は、 亨保18年(1733)に住…
早稲田神社の狛犬です。 天保十一年庚子 九月吉旦 東都交代連中 と記されています。 参勤交代に参加した広島藩士連中が職務安全遂行を祈って寄贈された物だそうです。 私たちは参勤交代と習って、一般的にそう言いますけど、 大名が将軍に謁見します参勤は、…