広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

平清盛

管弦祭、対岸の地御前から長濱神社に御座船到着しました。

私たちは、 厳島神社の参拝を済ませて、長濱神社に提灯をもらいに行きます。 提灯を頂き、海はまだ静かです。 一旦船に戻り、少し休んで、 8月3日立待月、東から待っていました月が上がり始めました。 頂いた提灯を持って対岸の地御前神社から還ってきます御…

広島湾を出まして、西へ、厳島神社へ

8月3日16時予定通り、宇品港を出て、 G7広島サミットが催されました元宇品のグランドプリンスホテル広島をみながら、 水しぶきをたてボートは西へ、 瀬戸内海、一面に白い夏雲が湧きあがって、船内は、若かりし頃の島に海水浴に行った時の話しで盛り上がり…

清盛通りに、ツバメの巣にかわいい雛が目いっぱい大きな口開けてお母さん待っています。

2023年も6月になりました。 広島は5月29日、梅雨入りしたと発表がありました。 先日の日曜日、宮島表参道商店街(清盛通り)のお店のテントに、 ツバメが巣を作っています。 たくさんの観光客が通ります清盛通りで、シャッターが降りたこのお店は、休業されて…

宮島は、いつ来てもいいですね。

G7広島サミット後の宮島、 ちょっと訪ねてみたくて、 行ってきました。 ちょうど満潮で、 コロナが終わりそしてサミットも無事終わり、待っていましたみたいに多くの参拝者で賑わっています。 多くの人で賑わっています宮島はいいですね。 広島市内から行…

広島多聞院を訪ねました。

広島市南区にあります多聞院を訪ねました。 多聞院は、 比治山公園の登るルートの一つで、広島電鉄比治山下を通ります線路に沿って、比治山神社と比治山トンネルの間にあります西側ルートの入口にあります。 多聞院の前の電車通りは最新の車が忙しそうに往来…

明けましておめでとうございます。元日宮島で初詣です。

令和5年、癸卯 新年明けましておめでとうございます。 厳島神社、 年明けは、宮島口の駐車場から桟橋に向かう途中で迎えました。 宮島に着きますとちょうど引潮から潮が満ち始めていて、 ぎりぎり、大鳥居の真下に行くことが出来ました。 平清盛が仁安3年(1…

大河ドラマ鎌倉殿の13人でも出てきました「今高野山」に行ってきました。

広島県世羅郡世羅町甲山にあります「今高野山」に行ってきました。 紅葉がとても綺麗です。 今回の大河ドラマの鎌倉殿の13人で、第37回と第39回に評議しています備後の国大田の庄の地頭と高野山の年貢米の話しが出てきます。 まさに、今高野山のことを…

宮島にあります「二位殿燈籠」です。

源平合戦の壇ノ浦の戦いで、 幼い帝、安徳天皇に、 「浪の下にも都の候ぞ」 海の底にも都がありますと、 幼帝を抱きかかえて入水しました二位の尼の燈籠が宮島にあります。 平清盛の後妻平時子、 二位の尼の遺骸が流れ着いたことから、 二位の尼を偲んで、燈…

厳島神社の大鳥居保存修理工事、足場が取り除かれました。

令和元年6月17日から厳島神社大鳥居保存修理工事が始まり、 ついこの間の令和4年10月6日に工事の足場が取り除かれ始めて、 チラリと顔を出しましたと、ニュースでみました。 私、思わず待ってました!って叫んでしまいました。 10月14日、晴天の中、大鳥居に…

大河ドラマ、10年前の平清盛。忠孝のはざまでの重盛。思い出しまして鳴いてしまいました。

NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人第9回「決戦前夜」で、富士川の戦い、平家の赤旗を掲げてあまりに美しすぎる平維盛の行軍。 生活臭溢れる坂東武士と対照的で、またそれがすごく切なかったです。 平家も平重盛がもう少し生きていたなら、、、 「忠ならんと欲すれば…

平清盛公の一生と瀬戸内海(その二)

伝説の中での清盛公の一生と瀬戸内海の掲示されていたボードのうち、 前回に続いて、後半を書きます。 清盛年譜(音戸の瀬戸を中心に) 鳥羽天皇、 元永元年(1118年)、清盛誕生。 崇徳天皇、 大治四年(1129年)、父忠盛、瀬戸内海海賊追討。 保延元年(1135年)…

平清盛公の一生と瀬戸内海(その一)

音戸の瀬戸公園にあります二重の塔。 いつ創建されたのか分からないですけど、 「平清盛、音戸の瀬戸を開き、ここに記念し二重塔 を建てる」とだけあります。 十二世紀頃でしょうかね。 見晴台に平清盛についての記録が掲示してありました。 書き写しますと…

旧高烏砲台兵舎跡、高烏公園に残っています。

美しい瀬戸内海を一望できる眺めのよい高烏台公園は、 かつての砲台跡です。 公園には、砲台跡の基礎部分が残っています。 公園の「清盛日招き像」のあります広場より少し下りたところに兵舎跡が残っています。 とても、丁寧な石組みで強固な造りが伝わって…

第二音戸大橋、1日にして再び陸続きになりました。愛称「日招き大橋」と言われる由縁です。

第三の音戸大橋の駐車場に、第二音戸大橋で実際に架設作業に使われた「砲弾型大型ピン」が展示してあります。 掲示板によりますと、 第二音戸大橋は、平安時代に平清盛が一夜にして切り開いたとの言い伝えのある音戸の瀬戸に瀬戸内海で初めて離島と本土をつ…

高烏台展望台、平清盛の日招き像より音戸大橋が一望できます。

音戸大橋を渡った帰り道、もう少し時間ありましたので高烏台展望台へと上がっていきました。 平成30年(2018年)7月の西日本を襲った記録的な豪雨で、この展望台への道も崩れ落ちました。 翌年訪ねました折には通行止めになっていました。 今回、修復されてい…

音戸の瀬戸に架かります昭和の音戸大橋、平成の第二音戸大橋、それから、倉橋島の第三の音戸大橋です。

呉市の本土側と倉橋島とを結ぶ音戸大橋です。 1961年(昭和36年)12月完成しました。 開通当時は有料道路でした。 それでも、家族でドライブ兼ねて行ったものです。 昭和49年(1974年)、無料化されています。 子供が小さい頃には、みかん狩りと称して音戸大橋を…

路傍に咲く小さな小さな花の野草です。

会社の駐車場の片隅に咲いています。 小さな小さな花の野草です。 コロナ渦、1年も過ぎて思うことに、 窮屈な毎日も慣れてくると、 今まで気が付きもしなかったことに気が付きます。 何年も、会社の駐車場使っているのに、それに見てたかも知れないのですけ…

武田氏ゆかりの史跡、正伝寺にありました「武田菱」の寺紋です。

先日、行きました正伝寺です。 広島市安佐南区のホームページに武田氏ゆかりの史跡として 985年に「恵空」が阿弥陀寺を建てたのが始まりと言われていました。のち武田信宗の菩提所となり光賢時と称し栄えました。その後現在地に移り、正伝寺と改められました…

邇保姫神社、秋祭りよごろに行ってきました。稲穂には「霊穀(ちから)」があります。

10月最後の土日は、実家での神社は毎年秋祭りでいつも賑わっています。 子供のころは、お祭りの日は着物を着せてもらい、鈴のついた飾り帯を締めて頭には大きなリボンの頭飾りをのっけて、薄らとおしろいをぬって口には紅もつけてもらって神社に行ってました…

旧高烏砲台火薬庫(国登録有形文化財)、石造りの珍しい建築様式です。

旧高烏砲台火薬庫、 移築されて入船山記念館に展示してありました。 石造りを基本構造としつつトラス架構で瓦葺き屋根を支えるといった珍しい建築様式。 とあります。 建築のこと全くわからないのですが、このトラス架構とは何でしょう。 ちょっと調べてみま…

浅野氏広島城入城400年⑷

現在の今私たちがいる広島で考えると少しばかり無理がある気がします。 バスセンターでバス降りて広島城の方へ向かって地下道潜ったら広島城。 これが私たちの広島城なんですよね。 おそらく浅野長晟は実際には京口門くぐった段階で広島城入城なんですよね。…