広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

平清盛

平清盛公の一生と瀬戸内海(その二)

伝説の中での清盛公の一生と瀬戸内海の掲示されていたボードのうち、 前回に続いて、後半を書きます。 清盛年譜(音戸の瀬戸を中心に) 鳥羽天皇、 元永元年(1118年)、清盛誕生。 崇徳天皇、 大治四年(1129年)、父忠盛、瀬戸内海海賊追討。 保延元年(1135年)…

平清盛公の一生と瀬戸内海(その一)

音戸の瀬戸公園にあります二重の塔。 いつ創建されたのか分からないですけど、 「平清盛、音戸の瀬戸を開き、ここに記念し二重塔 を建てる」とだけあります。 十二世紀頃でしょうかね。 見晴台に平清盛についての記録が掲示してありました。 書き写しますと…

旧高烏砲台兵舎跡、高烏公園に残っています。

美しい瀬戸内海を一望できる眺めのよい高烏台公園は、 かつての砲台跡です。 公園には、砲台跡の基礎部分が残っています。 公園の「清盛日招き像」のあります広場より少し下りたところに兵舎跡が残っています。 とても、丁寧な石組みで強固な造りが伝わって…

第二音戸大橋、1日にして再び陸続きになりました。愛称「日招き大橋」と言われる由縁です。

第三の音戸大橋の駐車場に、第二音戸大橋で実際に架設作業に使われた「砲弾型大型ピン」が展示してあります。 掲示板によりますと、 第二音戸大橋は、平安時代に平清盛が一夜にして切り開いたとの言い伝えのある音戸の瀬戸に瀬戸内海で初めて離島と本土をつ…

高烏台展望台、平清盛の日招き像より音戸大橋が一望できます。

音戸大橋を渡った帰り道、もう少し時間ありましたので高烏台展望台へと上がっていきました。 平成30年(2018年)7月の西日本を襲った記録的な豪雨で、この展望台への道も崩れ落ちました。 翌年訪ねました折には通行止めになっていました。 今回、修復されてい…

音戸の瀬戸に架かります昭和の音戸大橋、平成の第二音戸大橋、それから、倉橋島の第三の音戸大橋です。

呉市の本土側と倉橋島とを結ぶ音戸大橋です。 1961年(昭和36年)12月完成しました。 開通当時は有料道路でした。 それでも、家族でドライブ兼ねて行ったものです。 昭和49年(1974年)、無料化されています。 子供が小さい頃には、みかん狩りと称して音戸大橋を…

路傍に咲く小さな小さな花の野草です。

会社の駐車場の片隅に咲いています。 小さな小さな花の野草です。 コロナ渦、1年も過ぎて思うことに、 窮屈な毎日も慣れてくると、 今まで気が付きもしなかったことに気が付きます。 何年も、会社の駐車場使っているのに、それに見てたかも知れないのですけ…

武田氏ゆかりの史跡、正伝寺にありました「武田菱」の寺紋です。

先日、行きました正伝寺です。 広島市安佐南区のホームページに武田氏ゆかりの史跡として 985年に「恵空」が阿弥陀寺を建てたのが始まりと言われていました。のち武田信宗の菩提所となり光賢時と称し栄えました。その後現在地に移り、正伝寺と改められました…

邇保姫神社、秋祭りよごろに行ってきました。稲穂には「霊穀(ちから)」があります。

10月最後の土日は、実家での神社は毎年秋祭りでいつも賑わっています。 子供のころは、お祭りの日は着物を着せてもらい、鈴のついた飾り帯を締めて頭には大きなリボンの頭飾りをのっけて、薄らとおしろいをぬって口には紅もつけてもらって神社に行ってました…

旧高烏砲台火薬庫(国登録有形文化財)、石造りの珍しい建築様式です。

旧高烏砲台火薬庫、 移築されて入船山記念館に展示してありました。 石造りを基本構造としつつトラス架構で瓦葺き屋根を支えるといった珍しい建築様式。 とあります。 建築のこと全くわからないのですが、このトラス架構とは何でしょう。 ちょっと調べてみま…

浅野氏広島城入城400年⑷

現在の今私たちがいる広島で考えると少しばかり無理がある気がします。 バスセンターでバス降りて広島城の方へ向かって地下道潜ったら広島城。 これが私たちの広島城なんですよね。 おそらく浅野長晟は実際には京口門くぐった段階で広島城入城なんですよね。…