安芸国鎮守府速谷神社の
御由緒です。
神社の社務所で頂いた栞によりますと、
〈御祭神〉
飽速玉男命(あきはやたまおのみこと)
〈御由緒〉
御祭神は、天孫降臨のときに随伴した三十二の神の一柱である天湯津彦命(あめのゆつひこのみこと)五世の御孫神です。
『旧事本紀(くじほんき)』には「阿岐国造(あきのくにのみやつこ)」と記され、広く国土を開拓され、安芸国の人々の生活と産業の基礎を固められた「安芸国の祖神」です。
当社の歴史は非常に古く、ご鎮座の年代明らかではありませんが、安芸国の人々が大神の恩徳を敬慕し奉斉した創祀千八百年となる古社です。
平安中期の『延喜式(えんぎしき)』では、当社は「官幣大社(かんぺいたいしゃ)」に列せられ、国家鎮護の神として朝廷の特別に篤い崇敬をうけました。
官幣大社は、中国九州地方では当社のみで、古代より最高の社格を誇りました。
天慶三年(940年)には、藤原純友の乱鎮定祈願の功績により、神階を正四位下に昇叙されます。
中世以降、安芸国桜尾城主だった藤原親実以下歴代城主をはじめ、戦国大名の大内義隆、毛利元就、また広島藩主の浅野光晟以下歴代藩主らが篤く尊崇しました。
明治時代にはじまった近世社格制度では、「国幣中社」に列格。
戦後は、神社本庁所属の「別表神社」となりました。
とあります。
また、頂いた他の資料によりますと
速谷神社は、対岸の厳島神社が平家一門の信仰を集めて盛運をみるのに反して、衰退の途をたどりました。
近代に入りまして明治政府が新たに整備した社格制度のもと、大正13年(1924年)、県内で厳島神社に次ぐ「国幣中社」に列せられました。
広島県内でも数少ない広島発祥の神様です。
国幣中社列格から令和6年は100年になります。
この年10月に、創祀1800年大祭を斉行することとなりました。
形があったわけではないのですけど、
ずっと子供の時から当たり前のように馴染んできました「安芸」。
何故「安芸」と呼ぶのかとか、何時から呼んでいたのかとか疑問にすら思ったことなかったです。
速谷神社も新車を買ったときの安全祈願をお願いするところとしか思っていなかったです。
この度、知ることが出来てとても厳かな気持ちになりました。