広島市の東部に隣接します安芸郡府中町の多家神社には、
広島城三の丸稲荷社の社殿が、明治7年(1874年)移築されています。
校倉造りです。
宮司さんともお話が出来て、
説明板にも書いてありますように、
一般的な校倉造りは、三角形に近い五角形の校木で組み上げてありますけど、
これは、四角形に近い六角形の校木で組み上げられています。
「信貴山縁起絵巻(国宝)」飛倉の巻(平安時代末期の絵巻))に描かれているものと同じだそうです。
この校倉造りは、日本に現存する唯一の建物です。
そして、広島城は原爆が投下されるまでは安土桃山時代からの現存天守でした。
廃墟となりました広島市、当然ですけど広島城も倒壊して、現在の広島城は戦後再現されたものです。
多家神社の宝蔵が唯一、広島城内の建物として見る事が出来ます。