広島基町クレド、パセーラ前ふれあい広場です。
この一帯は、広島城大手郭(外郭)跡です。
説明板には、
広島城は、安土桃山時代に中国地方一帯を領していた毛利輝元が、瀬戸内海へと流れ込む太田川の三角州に築いた平城です。
天正17年(1589年)に築城が開始され、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、毛利に代わって入城した福島正則が外郭の堀・櫓などの整備を実施しました。
その時の姿が元和5年(1619年)に入城した浅野氏に受け継がれ、ほぼ明治時代まで維持されました。
江戸時代の広島城は三重の堀に囲まれた広大な城であり、その規模は東西・南北ともにそれぞれ1㎞余りありました。
また、全国有数の櫓の多い城であり、その数は88基もありました。
大手郭は、広島城の南側から東側にかけて位置する鉤括弧型(』)の曲輪(郭)であり、江戸時代には、家老・重臣など身分の高い武家の屋敷がありました。
旧大手郭内や大手郭沿いの外堀数か所で行われた発掘調査では、武家屋敷跡や櫓台石垣が確認されたほか、安土桃山時代から江戸時代初期に作られた金箔瓦も出土しています。
と、書かれています。
説明板の地図に示されています現在地、わたしが立っていますこの位置は、鉤括弧型の大手郭の中にすっぽりとはまっています。
現代の地図を頭に描くと余りに広大です。
江戸時代でしたら、家老や重臣でない限りそうそう立ち入れるところではないですね。
広島城外からみますと、天守閣は遙か彼方ですね。
そんなこと思いながら、正面のエスカレーターで、
パセーラの中に入りまして、
昔の人では体験できない、ふれあい広場を見下ろすことが出来ます。
道路挟んでその向こうは広島県庁です。