住吉橋のすぐそばに「水主町六地蔵尊」が鎮座されています。
顎なし隠岐地蔵尊(歯痛)
子安地蔵尊(安産・子宝の恵み)
延命地蔵尊(長生き)
子育地蔵尊(学問)
賽河原地蔵尊(極楽ゆき)
伊豫立江(りつえ)地蔵尊(伊豫立江伝来)
の六地蔵尊に加えて、
原爆地蔵尊の
七体の地蔵尊がおられます。
南無地蔵願王菩薩真言
「オン カーカーカビサンマーエイ ソワカ」
3回唱えます。
願いが叶えられるそうです。
お堂の隅に書いてありますのを、片目をあけてのぞき見てつまりつまりながら唱えます。
「水主町地蔵尊堂」は、
遠い昔にインドから隠岐島に伝来したと言われる「顎なし地蔵」を、浅野藩時代(1619~1871)に水主(船頭)が、大河から浅野家の紋所のある提灯と共に水主町に持込み、堂宇を造ってお祀りしたと古くから語り継がれています。
地蔵尊堂は、以前「水主町三百四十八番地の一」にあり、十坪の土地に、木造の寄棟造の正面二間に奥行き三間の堂宇で、地獄極楽の天井図があったが、原爆投下によって灰燼に帰しました。
さらに新都市計画で、その土地は今の吉島通りとなりました。
そこで近くの篤志家が同家の敷地内に堂を造り祀りました。
その後新たに五体の地蔵が持込まれました。
祭祀は、地蔵の世話人が子供の参加を得て例年営んできました。
太田川河川改修工事に伴い、この地に平成8年5月21日移転造営が決まりました。
これを機に有志で地蔵尊奉賛会を結成し、会員一同協力して地蔵尊の教えを広め、永くこの志を伝えたい。
水主町地蔵尊奉賛会
と、記されています。
現在は加古町と表されています町名ですけど、あくまで水主町に拘られる思いが伝わります。
原爆で全てを失ったはずの広島、それでも人々の思い出までは消し去ることは出来ないですね。
時は移ろい元の姿には戻れなくても、新たに記録に残し市民の目に触れるように祀ってあります。
広島湾からのほんのわずかに潮の香りがします本川の風を受けてお堂の中で気持ち良さそうにお地蔵さんおられます。