元安橋から見る原爆ドームです。
お昼の賑わいも嘘のようです。
元安橋は毛利輝元の時代から架かっていました。
原爆ドーム辺りは、旧住所では、猿楽町、細工町といいます。
能楽師や楽器の細工師がたくさんいた町です。
謡曲や能のはやしが聞こえたでしょうね。
能を楽しみ舞うのは、武士のたしなみだったのでしょうね。
東の元安橋から、今の平和公園をはさんで西の本川橋はかつての西国街道です。
福島正則公が整備した街道です。
今は観光地として多くの人が訪れていますけど本川、堺町に抜ける生活道路でもあります。
元安橋からいくらも歩かないうちに平和公園が見えてきます。
この日は、十五夜(6月3日)で町はとうかさんで賑わっています。
帰り道、遠回りして平和公園に来てみました。
十五夜の月明かりと平和の灯とで、公園を照らしてくれています。
平和の灯は、宮島の弥山の「消えずの霊火」からのものです。
ずっと消えずに燃えています。