三次鳳源寺境内の中にありました「浅野長治公之像」です。
浅野因幡守長治(1614~1675)
広島浅野藩主長晟の長男として生まれ、寛永9年(1632年)広島浅野藩より5万石を分封され、初代藩主として三次浅野藩を立藩。
その名君ぶりは水害に悩まされる河川堤防造成、町並整備、寺社の建立、保護等に見ることができる。
また、三次の鵜飼、三次人形の始まりも長治によるものである。
赤穂藩主浅野内匠頭長矩の正室、阿久利姫(後の瑤泉院)の父君でもあり、
参勤の折、江戸でその生涯を終えるも、遺言により墓所は比熊山中腹にあります。
とあります。
浅野長治は、学問を好み、尾関山山頂に天体を観測する「発蒙閣(はつもうかく)」を建設しました。
尾関山発蒙閣跡地の展望台からみました三次市街地です。
江の川が流れ、
三次市内を一望できます。
遙か先をみますと、その先は庄原へと繋がっていきます。
三次藩は代々後継者に恵まれず5代で遂に広島本藩に還付され(1720)断絶してその幕を閉じました。
三次は、霧の街でも有名で、高谷山の展望台からの三次の雲海は有名です。
広島はほとんどが中国山地に囲まれ土地の少ないところです。
毛利元就の郡山城のあります吉田辺りから霧は立ちこめ中国山地は霧に包まれます。
霧の出る日は晴れるともいわれています。
ドライブで朝早く出発した時は、霧がでますと今日は晴れるねっていいます。