広島市中区中島町、
広島広島平和記念資料館前の噴水の前の平和大通りよりの南のすぐそばに、
ビルに囲まれた所に、
天満神社があります。
この辺りは、以前は天神町と呼ばれていたそうです。
天満神社は、掲示板によりますと、
御祭神は、菅原道真大神です。
御由緒は、毛利輝元が広島に城を築き高田郡吉田町(現在は安芸高田市吉田町)から入府した時、吉田の天神山からこの地に遷して奉斉したのが始まりです。
その後、浅野長晟卿が広島城に入城の際(1619年)、船を水主町(現加古町)に着け、
天満神社に入り暫く休憩の後入城しました。
この因縁から浅野家の崇敬は大変厚く、正月、五月、九月に参拝され様々な行事・宝物の奉納がなされたそうです。
明治に入り浅野家との関係は断たれましたが、広島の発展とともに繁華街の真ん中で「天神町の天神さん」と呼んで親しまれました。
昭和20年8月6日原爆投下により、爆心地より300mという至近距離で、注連柱、狛犬等の石造物が若干残った中で幸いにも疎開していた御神体を残して全て灰燼に帰しました。
復興が叶わぬまま時を過ごしてきたままでしたが、平成6年6月ようやく小祠を建立して、由緒ある「天神町の天神さん」の復興の一歩を踏み出しました。
(掲示板より一部掲載しました。)
掲示板の銅板には、
被爆以前の天満神社の写真が載っています。
昭和6年5月1日に写された写真には、拝殿が写されています。
当時の神社は現在の小さな祠とは比べものにならないほど立派ですけど、
平成6年戦後49年、ここまでくるのにおよそ半世紀かかりましたけど、
戦争中の最中、御神体が守られたからこそ、
毛利輝元が吉田から遷し、さらに浅野長晟卿が休まれたという証が残されました。