広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

広島市中区廣瀬神社です。

広島市中区広瀬町にあります廣瀬神社です。

広瀬町は電車通りを挟んで広島市中区寺町の対角線上にあります。

神社を出ますとすぐ国道(183号線)です。

車で走っていますと、街中でも木々がなんとなく茂っていますとそこには大抵神社があります。

どんなに、ビルが建ち並んで町が発展しても、ふっと立ち寄りたくなるのが神社ですね。

御祭神は、

市寸島比命命(イチキシマヒメノミコト)

多紀理毘賣命(タギリビメノミコト)

多岐都比賣命(タギツヒメノミコト)

相殿に、

天照大神

須佐之男命

神倭伊波禮彦命(カムヤマトイワレビコ、のちの神武天皇)

です。

 

天正年間(1573年から1592年まで)、ここに廣瀬辨財天という社があり、毛利輝元この地に菩提寺、洞春寺をおくに及んで、これを鎮守社とし、廣瀬市杵島大明神として信仰厚く、社領を寄せられたという。

 亨保八年(1723年)、社号を廣瀬大明神と改称。

 旧藩時代は、廣瀬、十日市より天満、観音、福島に至る広島西部一円の氏神として崇敬され、

 明治5年、社号を廣瀬神社、社格を村社と定められました。

境内は、樹齢300年以上という大樹、森をなし、諸々の社殿甍を連ね、宏大を誇る社であったが、昭和20年8月6日原子爆弾のため烏有に帰しました。

 戦後、昭和22年復興、假殿を営み、

同24年拝殿を、同50年秋、本殿を造営し、

翌51年秋にかけて境内の整備を実施した。

 

とあります。