先週の土曜日、3年ぶりに賑わっていますえべす講の帰り道、今年はえべっさん賑わってるなぁって思いながら、しみじみと中央通りを南下しました。
今年もあと少しと晩秋のころ歳末より少し早いバーゲンセールで街中が活気づきます「えべっさん」、同じ中央通りで行われます梅雨も明けきらない頃、去年より少し背が伸びて新しいゆかたを買ってもらいワクワクしながら行きましたゆかた祭りの「とうかさん」
とっても、楽しくて親しみやすくて、昔を懐かしいと歩いています。
そして、とうかさん圓隆寺に立ち寄りました。
驚くことに私、知らないことだらけです。
子供の頃は、土日関係なくて、
とうかさんは、6月8・9・10日
えべっさんは、11月18・19・20日に開催されていました。
それで、私は、6月10日でとうかさんだと思っていました。
とうかさん圓隆寺の寺務所でいただいた栞です。
とうかさん圓隆寺は、元和5年(1619年)、広島藩初代藩主 浅野長晟公が、現在の地に約1600坪の寺領を与え、東区二葉の里 本山國前寺第17世慈善院日音上人をお迎えし開山したのが始まりだそうです。
2年前に、二葉の里「七福神めぐり」で國前寺に訪ねて行っていました。
とうかさん圓隆寺は、創建当時は広島城下の南端にあたります。
広島藩内の法華経の道場としての役割はさることながら、領地南側の防衛の一拠点としての側面もありました。
お寺でお伺いしましたところ、
広島城を守るための防衛に、南はとうかさん圓隆寺と白神さんこと白神社(しらかみしゃ)だそうです。
では?
北は、武田山。
西は、太田川、現在の本川でしょうね。
お城を守るために本川西側に寺町があります。
(広島の寺町は他県と違い浄土真宗のみのお寺です)
そこまではよくわかります。
東は?
当時の地図を想像しますとわかります。
比治山だそうです。
昭和20年(1945年)8月6日、広島に投下されました原爆、市内を一瞬にして焼きつくしました。
それでも、広島城下からみます比治山のお陰で段原地区は残りました。
皮肉にも広島城を守るための比治山が広島城下の広島市内を襲った未曾有の出来事から救っています。
稲荷(とうか)大明神は、
稲荷をとうかとは読めませんとコメントでも頂きました。
頂いた栞によりますと。
「とうか大明神」は、圓隆寺初代住職 日音上人が元和5年(1619年)に建立されたときに、総鎮守として勧請されたもので、御神体であるとうか大明神は、インドのダキニを元としており稲荷を「いなり」ではなく「とうか」と読み命名したのが始まりだそうです。
ちなみに、稲荷を「とうか」と読むのは広島だけみたいですね。
さらに、
「とうかさん大祭」は、
400年続くお祭りで、
元々は現在の旧暦の端午の節句の時期に行われていて、広島藩の繁栄と武士の武運長久、そして広島城下の安寧を願い始まった祭礼だそうです。
明治に入り新しい世が始まり武士から庶民へと変化しながら「とうかさん」として親しまれてきました。