元禄14年3月14日、勅使御馳走役浅野内匠頭、江戸城松之廊下にて吉良上野介に刃傷に及ぶ
といえば、忠臣蔵です。
赤穂浪士四十七士の一人、原惣右衛門元辰の供養墓が広島のとうかさん圓隆寺にあります。
浅野内匠頭が刃傷に及んだその日のうちに、早駕籠が出されています。
刃傷沙汰を赤穂に伝える第一陣に続いて、内匠頭切腹と赤穂藩取りつぶしを伝える第二陣の早駕籠が約650キロをわずか5日で伝えています。
その第二陣に、原惣右衛門と大石瀬左衛門の2名です。
ドラマでも、必ずでてきますシーンです。
原惣右衛門といえば、
もう一つ、ドラマで必ずでてきますシーンで、
元禄15年12月14日、本懐を遂げた赤穂浪士が本所吉良邸から泉岳寺までの引き上げるシーンです。
その中で駕籠に乗っていますのが原惣右衛門です。
吉良邸侵入の際、屋根から足を滑らせて捻挫をしたためです。
そしてその後、原惣右衛門は細川家屋敷にお預けとなり、翌年元禄16年2月4日切腹しています。
赤穂義士の墓は泉岳寺にあります。
そして、ここ広島の地に、
原惣右衛門元辰の嫡男原惣八郎辰正は広島藩に召し抱えられることなり、
惣右衛門もその妻も熱心なとうかさんを信仰されていて、
亨保18年(1733年)7月4日妻が亡くなると、惣八郎は両親の墓を当山に建立して供養しました。