広島市中区中町にあります単立(顕本法華宗)光瓊山本照寺です。
平和大通りを挟んで南側にあります。
御朱印を頂きましたときお話を聞きましたところ、関ヶ原の戦い以降にこちらに創建されましたと言われました。
福島正則の家臣がこの地に創建されたとも言われました。
とても立派なお寺でした。
調べましたら、
妙満寺二十五世日殷上人の法弟日榮が、賀茂郡飯田妙福寺に住まわれていたとき、
福島正則の家臣小河若狭守安良が日榮に帰依して創建されたと記されています。
(下記の猫の足あとさんから引用させてもらいました)
広島市は広島城築城の天正17年(1589年)と同時にどんどん埋め立てられ新開地が出来、
白神社からは海と言われていましたけど、福島正則公のころにはすでに本照寺があります中町は新たに土地が開かれていたそうです。
江戸時代には凄まじい勢いで開発されていきました。
ほぼ、現在の広島市となっていきました。