毛利氏
時計をみると、お昼の3時半過ぎ、 お正月、速谷さんから何気に宮島さん行きたくなり、 気が付けば宮島口からフェリーに乗っていました。 子供の頃から毎年のように行っていましたのにコロナが流行りだして、 3年ぶりでしょうか。 大鳥居は修繕中で、 なのに…
今日から始まりますNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のガイドブックを買いました。 武田山中心に広島を歩いていましたら、「承久の乱」がよく出てきます。 安芸武田氏は承久の乱の功績によって鎌倉幕府より安芸守護に任じられたとゆかりの神社仏閣を巡ってい…
安芸国鎮守府速谷神社の 御由緒です。 神社の社務所で頂いた栞によりますと、 〈御祭神〉 飽速玉男命(あきはやたまおのみこと) 〈御由緒〉 御祭神は、天孫降臨のときに随伴した三十二の神の一柱である天湯津彦命(あめのゆつひこのみこと)五世の御孫神です。…
先日、訪ねました平山八幡神社をもう一度訪ねて来ました。 安芸武田氏滅亡の後、大内義隆によって創建されました平山八幡神社、 後、毛利元就、隆元により本殿が造営され、 その本殿の大棟に毛利の家紋「一文字に三つ星」があります。 前回、拝殿でお参りし…
広島市安佐南区山本にあります平山八幡神社です 八幡様の神様、帯中津日命、品蛇和気命、息長帯比売命が祀られています。 周防の守護大内氏ゆかりの神社、毛利氏ゆかりの神社ということで訪ねてみました。 途中眞幡神社の大銀杏があまりに美しく色づいてまし…
尾関山公園は、春は桜、秋は紅葉の名所です。 尾関山は、何故尾関山と言うのでしょうか? 関ヶ原の戦いで、東軍についた福島正則は、 毛利氏の後1601年広島城に入城し、西国街道、雲石街道を整備し広島市の城下町の礎を作りました。 その雲石街道は広島市堺…
武田山の山本地区にあります武田氏一族の墓です。 昨日、お昼ご飯を済ませてから出発しました。 イオンモール祇園店で時計をみますとちょうど14時です。 山本にありますホームセンター側から登り、途中行きすぎて戻ったり休憩したりで約50分やっと辿り着きま…
御門跡を過ぎてさらに登りますと、千畳敷につきます。 景観もこんなに変わってきます。 千畳敷からの広島湾です。 向いの三滝山の向こうに広島湾が広がります。 小さく、豆粒くらいの島、津久根島が見えます。 あまんじゃくの島です。 広島市は毛利輝元が広…
台風が去った後の日曜日抜けるような青空です。 昨日転んで痛いと言っていた主人、「もう大丈夫!今日行こう!」 いきなりの武田山登山決行です。 まずは、山頂の銀山城跡からの武田山です。 もうすぐですよと下山される人に励まされ御門跡からカクンと曲が…
極楽寺山の極楽寺です。 中学生だったでしょうか遠足で訪ねて以来です。 登山で、とにかくしんどくて、はぁはぁ!いいながら這うように登った先に現れたのがこのお堂でした。 その頃の私と言いますと、不謹慎と言いましょうか、上り詰めた先に視界が広がって…
立専寺より少し背を向けたように、眞幡神社がありました。 立専寺の駐車場を横切って行きますと眞幡神社の裏に出ます。 これはいかん!とばかりに神社の縁を周り正面鳥居からの参拝です。 眞幡社の縁起によりますと、 安藝の國守護職として鎌倉初期、武田信…
えびす通り商店街のビルに挟まれたように鎮座されていますのが、胡子神社です。 毎年11月に胡子大祭が行われます。広島三大祭りの一つで私たちは「えびす講」とか「えべっさん」って言ってます。 去年は、コロナウィルスの感染拡大のため縮小されて催され…
来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とても楽しみにしています。 源平合戦で名の知れた武将は知っていても、13人のうち小栗旬さんが演じる北条義時以外は知らない(それも、北条義時は教科書でしか知らないです)と思って見てますと、 13人の1人、大江広…
先日、行きました正伝寺です。 広島市安佐南区のホームページに武田氏ゆかりの史跡として 985年に「恵空」が阿弥陀寺を建てたのが始まりと言われていました。のち武田信宗の菩提所となり光賢時と称し栄えました。その後現在地に移り、正伝寺と改められました…
旭山神社にあります表示板には、前々回、前回に続いて、続きがあります。 そこには、 《旭山神社の特徴》として書かれています。 いにしえ、この旭山は松がおおう神秘的なまで美しく、眺望も素晴らしい岬だった。 ここに神功皇后を案内したことから、その後…
旭山神社は、毛利元就とも縁の深いところです。 神社にあります表示板、 旭山の神社の沿革より 《旭日にちなみ旭山とする》 弘治元年(1555年)10月朔日、毛利元就が陶晴賢と厳島にて合戦の折、 元就、郡山より出陣の道すがら、此の社に打ち上り戦勝祈願するま…
広島城天守閣の第一層ミュージアムショップ、たくさんの品数はないのですがちょっと面白いです。 広島城の金箔鯱瓦のクリアファイルです。 つい、買ってしまいました。 天守閣に行くと本物見ることが出来ます。 平成20年に広島城三の丸跡の井戸からほぼ完…
昨日は、初秋の少し暑さの残る穏やかな日でした。 広島市南区元宇品から臨む黄金山(おうごんざん)です。 かつては、広島湾に浮かぶ島でして、仁保城がありました。 安芸武田氏の警固屋衆であった白井氏の支城であったといわれています。 武田氏滅亡後は毛…
安芸武田氏ゆかりの神社、 「新羅神社」 参道の入り口の名前の彫ってありました石碑の下に目を落していくと、 何とユニークな、石神様なのでしょうか? こういったのも道祖神になるのですかね。 何気なく、手まりくらいの石像がおられます。 ポッとおられま…
広島城天守閣は、博物館になっています。 甲冑や刀剣、武士の生活など常時展示してあります。 その中でも福島正則公の「呑み取りの槍」で有名な「日本号」の写しが常時展示してあります。 一言で写しと言っても、全く引けをとる物ではなく槍の穂に施された細…
今日は、 ほんとに、久しぶりに、 今年の1月に訪ねてからですから8ヶ月経つんですね。 バスの車窓からは眺めていましたけど、今日訪ねてみました。 もったいぶってますね。 広島城です。 平日ではありましたけど、混雑こそしてませんでしたけどそれでも数人…
呉線に沿って国道31号線を広島市に向かって走りますと海田で国道2号線に合流します手前に左の車窓から広島県立海田高校の校舎が目に入ります。 たしか、かつては三枚の桜の葉の中央に桜の花弁をあしらった校章のみが校舎に印されてたと記憶してますが、今は…
三原駅に展示してありました、NHK大河ドラマ「元就」で小早川隆景役をした恵俊彰さんが着られた甲冑がありました。 あのー これ載せるの随分悩んだのですが、 こんなこと言ったら申し訳ないのですが、 小早川隆景の紋は「左三つ巴」なのですが、この幟でした…
三原へ行きますと、小早川隆景公一色で、随分慕われていたのが伝わりました。 そういえば、一昨年博多の筥崎宮に姪に案内してもらったとき、 楼門を小早川隆景が造営したと記してあったのを思い出しました。 幼い毛利輝元を吉川元春とともに支えて瀬戸内海を…
小早川氏城跡 国指定史跡三原城跡です。 天守台上には三原駅構内から入ることができます。 三原市内が臨めます。天守閣があればもっと一望でき瀬戸内海も臨めたでしょうね。 慶応年間の三原城絵図をもとに彫刻された壁画が三原駅構内に展示されていました。 …
平成26年8月20日に発生しました広島市土砂災害から5年と5ヶ月です。 広島市安佐南区八木地区の国道54号線毎日車で通るのですが、ちょうど1ヶ月前主人と出かけて、主人が運転してましたので車窓から写しました。 すごい立派な砂防ダムができました。 これ…
広島城のもう一つの見所に二の丸があります。 原爆投下で崩壊するまでは、中世に建てられたまま現存として残ってました。 それを現在は復元されています。 広島城を訪ねていくとき、表玄関を潜る前に橋を渡り、本丸に入る前にもう一度堀を渡ります。 今回は…
饒津神社を出まして、隣接するように月光山明星院あります。 と言いましても、広島駅北口へ繋がる二葉通り(県道84号線なんですね)を車で走りますと奥まってわからないです。 もとは毛利輝元の生母、妙寿院の位牌所で、南光月素月山妙壽寺(臨済宗)だったそう…
元安橋は、西国街道で江戸時代より以前からある橋です。 毛利氏の時代に架橋された橋です。 毛利元就の八男で毛利元康が架けたとも、元康の屋敷から橋に続く道を「元康路」と読んでいたところからともいわれてたそうです。 元安川もそこからきてるんですね。…
鯉城通りは、広島城南交差点から市役所交差点前までを結ぶ大通りです。 広島城南交差点から、まっすぐに南北に延びてます。 この鯉城通りを南下してますと平和大通り(昔は100メートル道路といってました)との交差点北東側に白神社があります。 この交差点…