広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

武田氏ゆかりの史跡、正伝寺にありました「武田菱」の寺紋です。

先日、行きました正伝寺です。

広島市安佐南区のホームページに武田氏ゆかりの史跡として

 

985年に「恵空」が阿弥陀寺を建てたのが始まりと言われていました。のち武田信宗の菩提所となり光賢時と称し栄えました。その後現在地に移り、正伝寺と改められました。

 

と紹介してあります。

 

前回、武田氏の痕跡が見つけること出来なかったので、しかも「武田菱」の紋があると後から聞きましたので、居ても建ってもおれなくなったのでもう一度尋ねてみることにしました。

 

お堂には、履き物を脱いでお上がりくださいとありました。

前回はどうも気が引けて遠慮したので見つけることが出来ませんでした。

ですけど、今回は思い切って上がってみました。

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立派なお堂の戸に、「武田菱」の寺紋がありました。

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お堂の屋根にも武田菱の紋があるかしらと見上げましたけど、屋根瓦には五つ葉の花桔梗の紋でした。 

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よく分からないのですが、桔梗紋と言ったら去年の大河ドラマの明智光秀を思い出します。

武田氏も明智光秀も清和源氏の流れをくんでいます。

繋がりがあるのでしょうか?

 

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塀の隅に、

下ろされた瓦があり、それには「揚羽蝶紋」がありました。

これは、発掘でもして出てきたのでしょうか?

よく分からないですね。

お寺の方でもいらしたら聞けたのですけど、

 

それでも、清盛の時代から源氏に移って武田氏がこの地を守護として統治し、その武田氏も毛利によって滅ぼされ、徳川の時代になると福島正則公から浅野氏と時代の変遷が味わえてとても楽しかったです。

今回、少し寒の戻りでしょうか肌寒かったですけどもう一度思い切ってたずねてよかったです。

 

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