広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

西国街道、元安橋から本川橋、江戸時代から原爆投下までずっと人の往来て栄えてました。

元安橋は、西国街道で江戸時代より以前からある橋です。

毛利氏の時代に架橋された橋です。

毛利元就の八男で毛利元康が架けたとも、元康の屋敷から橋に続く道を「元康路」と読んでいたところからともいわれてたそうです。

元安川もそこからきてるんですね。元康から元安に変わったのはいつからなんですかね。

元安橋は原爆ドーム、爆心地の島病院とは目と鼻の先にあります。

それでも、元安橋は落橋を免れています。

多くの人がこの元安橋にたどり着くことができず、元安川で亡くなられています。

8月6日には、この元安川では灯籠流しが行われます。

被爆したこの橋は平成4年(1992)掛け替えられるまで使われていました。

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現在の元安橋です。

元安橋から本川橋手前まで休日は歩行者優先道路となります。

ここは、西国街道です。

今は平和記念公園となってます。とてもきれいに整備された公園となってます。

多くの方がこの地をを訪ねてこられます。

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被爆前の復元地図です。

あの日あの時までには、こんなにもたくさんのお家が建ち並んでました。

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旧中島地区中島本町のこの街道は江戸時代は西国諸大名の参勤交代が通り、大正時代には中島本町本通りと呼ばれてスズラン灯が設置されモダンな商店街だったらしいです。

原爆投下により町は壊滅し投下時刻にこの町にいた人は、たまたま燃料会館(現在のレストハウス)の地下室におられた人が奇跡的助かった以外は全員亡くなられたそうです。

たった1発が瞬間に何もかもを変えました。

今は想像でしかわからないです。

 

平和記念公園を抜けると本川橋です。

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この本川橋は、毛利輝元の頃、豪商「猫屋九郎左衛門」がかけた橋で、猫屋橋とよばれてましたが、近年本川橋とよばれてます。

猫屋町は今でも残ってます。そういう由来がらあったんですね。