えびす通り商店街のビルに挟まれたように鎮座されていますのが、胡子神社です。
毎年11月に胡子大祭が行われます。広島三大祭りの一つで私たちは「えびす講」とか「えべっさん」って言ってます。
去年は、コロナウィルスの感染拡大のため縮小されて催されました。
今年はどうでしょう。
6月に入り、この時期はとうかさんも縮小され無参拝で執り行われるみたいです。
胡子神社は、慶長8年(1603年)に、町の長老が町内の繁栄を願って福島正則公に願い出て吉田町(広島県安芸高田市)の守護神「えびす神」を勧請したのが始まりだそうです。
商売繁盛の神様で400年以上続くお祭りです。
原爆投下された昭和20年(1945年)もわずかバラックの社殿で行われたそうです。
町の長老に頼まれた福島正則公がそれに答えて建てたのが、毛利の祖大江広元公を御祭神とするえびす神を勧請したことを思いますのに、
福島正則公の懐の大きさを感じますね。
関ヶ原の戦いで東軍で戦った正則公、西軍の毛利輝元の建てた広島城に入城し、毛利色を打破しても仕方ないのにわざわざ吉田より持ってきています。
中国地方の覇者だった毛利が広島を去って行く様を見ていた広島の人たち不安でいっぱいだったと思います。
おそらくえびす神社を持ってきたことで正則公は広島の人の心まで掴んだでしょうね。
今の広島の繁栄は、西国街道を広島城より南側に通して広島城下町の礎を築いた正則公の功績は大きいですね。
すごいですね。