小早川氏城跡 国指定史跡三原城跡です。
天守台上には三原駅構内から入ることができます。
三原市内が臨めます。天守閣があればもっと一望でき瀬戸内海も臨めたでしょうね。
慶応年間の三原城絵図をもとに彫刻された壁画が三原駅構内に展示されていました。
三原城の真ん中をJR山陽線、新幹線が通り今はわずかしか見ることができません。
小早川隆景の築いた三原城は、三原沖の大小の島をつなぎ築いた城で、東西に約900m南北に約700m、この中に本丸、二の丸、三の丸があり、櫓三十二、城門十四があったそうです。
満潮時には海に浮かんでいるように見えて「浮城(うきしろ)」と呼ばれていたそうです。
豊臣秀吉や徳川家康もこの城を訪れて素晴らしさに感動したそうです。
「見ても見事な三原の城は地から湧いたか浮城か」
と唄われてたそうです。
口惜しいかな、今となっては復元すら叶わなくなってます。
だからこそ、三原の人たちは、
小早川隆景が大事にした三原神明祭を
隆景が築いた三原城築城を祝い酒に酔い、三味線、太鼓、笛を鳴らして“やっさやっさ”と祝った「やっさ踊り」をとても大切にしてるんですね。
三原駅西口を出ますと、隆景が築いたであろう石垣が、あたかも新幹線を支えてるかのごとき礎となり哀愁すら感じます。
隆景広場から臨む三原城天守台です。
誰が名付けたのでしょうか?「隆景広場」
小早川隆景像、天守台に向かっておられます。
残ってましたら、間違いなく日本の城100選に選ばれてたでしょうね。
山陽本線は1901年(明治34年)、神戸から下関まで全線開通しました。
鉄道を結ぶ要所として本丸の中を通してでも、三原は避けられなかったのでしょうかね。
言い換えれば、隆景の築いた城はまさに山陽道の要に築かれた城と言うことなんでしょうね。
三原駅がなければ、三原の町は衰退していったことでしょう。それは隆景公の意に反する事だったですね。
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