旭山神社は、毛利元就とも縁の深いところです。
神社にあります表示板、
旭山の神社の沿革より
《旭日にちなみ旭山とする》
弘治元年(1555年)10月朔日、毛利元就が陶晴賢と厳島にて合戦の折、
元就、郡山より出陣の道すがら、此の社に打ち上り戦勝祈願するまさにその時に、東天より旭日の昇り来るのを見て縁起よいことだとして初めて旭山八幡宮と称された。
また松山も旭山というようになったと申し伝えられてきた。
とあります。
どの辺りから昇り始めたんですかね。
毛利元就の時代もまだ広島市は一面海です。
今では決して見ることのできない旭日ですね。
主君大内義隆に反旗を翻し義隆を討った陶晴賢。
厳島合戦、陶軍二万に対して、毛利軍三千五百、数の上では劣勢な毛利軍です。
たとえ元就に策はあったとは言え、郡山より出陣と言うことは一つ間違えれば郡山まで危なくなりかねないこの厳島合戦、旭山神社においての必勝祈願は身の引き締まるものがあったでしょうね。
その時、まさに旭日が昇ってきたとき勝利を確信したのかもしれないですね。
とても、験がいいと思ったのでしょうね。