旭山神社にあります表示板には、前々回、前回に続いて、続きがあります。
そこには、
《旭山神社の特徴》として書かれています。
いにしえ、この旭山は松がおおう神秘的なまで美しく、眺望も素晴らしい岬だった。
ここに神功皇后を案内したことから、その後の有名な歴史が始まったのである。
先ず、神功皇后へ黒鯉を献上したことから地名「鯉」、「鯉の浦」がおこり、そして旭山に登られた由縁から武の神、産土八幡宮が創建される。
次いで毛利元就が戦勝祈願時に旭日の昇るを見て旭山八幡宮と称する。
更に毛利輝元が広島城の位置を決める際、祖父とゆかりのある旭山から見立てて鯉の浦に築城した。
このことから広島城を別名鯉城とも言われる。
誠に旭山神社は長い時を経ながら奥深い歴史をつむいできたものである。
平成28年4月吉日
己斐歴史研究会
と結ばれています。
神功皇后と鯉の話しを聞きまして、それと己斐の地名の由縁が知りたくて旭山神社訪ねて見たいと思い訪ねてみました。
それと、
以前より、広島城のことを鯉城ともいいます。己斐とどう関係しているのか気になっていました。
訪ねて見て、1800年前の神功皇后から始まり毛利元就と陶晴賢との厳島合戦へと繋がり、輝元の広島城築城まで話しが続くとは壮大すぎて驚いています。
(先日、姪と訪ねたときの広島城天守閣です。)
輝元が「鯉の浦」に築城した鯉城は福島正則公、浅野氏にそして明治から令和の現在まで受け継がれ、今では広島市民広島城のことを鯉城というのは誰もが知っています。
その鯉城から「われらのカープ」が生まれました。
私、「広島カープ」って当たり前に言ってますが、改めて思ったんですが、「カープ」は広島でしかあり得ないですね。
何せ1800年の歴史があるのですから、
ですから、鯉城とカープは広島にあって永遠不滅ですね。