尾関山公園は、春は桜、秋は紅葉の名所です。
尾関山は、何故尾関山と言うのでしょうか?
関ヶ原の戦いで、東軍についた福島正則は、
毛利氏の後1601年広島城に入城し、西国街道、雲石街道を整備し広島市の城下町の礎を作りました。
その雲石街道は広島市堺町から西国街道から別れ、
可部、吉田、三次を経て出雲に至る出雲路と可部から石見に至る石見路の総称です。
三次市は、中国地方でほぼ真ん中にあり、出雲に繋がるとても重要なところです。
尾関山は、もともとは小丸積山といって、三吉氏の重臣、上里越後守の居城でした。
三吉氏の居城、比熊山城の出城でした。
関ヶ原の戦いで、毛利輝元のもと西軍についた三吉氏はその後改易となり、
福島正則は家臣尾関正勝を三次に配し、尾関正勝がここに城を構えたことにより、
尾関山といいます。
その後、1619年福島正則は改易となり広島藩は浅野氏が治め、備後三次藩初代藩主浅野長治が入封します。
それでも、尾関山の名前は残っていきます。
武田山にしろ、尾関山にしろ、他にもたくさんの日本中の名称、
全てを壊していくのではなくて
時代は次世代になっても、歴史への敬意なのでしょうかそのまま残っていきます。
それが、今に至っています。
当時の人たちの歴史観により、
現代の私たちに伝承され古より歩んできたその地の歴史を肌で感じることができます。