史跡探索
寿永3年、一ノ谷の戦いで没した平敦盛の妻の玉織姫のお墓が広島県庄原市春田にあります。 私の車のカーナビでは検索できませんでした。 スマホのGoogleマップのナビで来ました。 とても、のどかな山里です。 近くまで来ましても案内板は一切なくて、 ちょう…
大年神社に向かいます途中の武田山です。 先週土曜日(4月2日)の桜です。 おそらく、今は散り始めているでしょうね。 sobanikutama.hatenablog.jp sobanikutama.hatenablog.jp 大年神社のそんなに大きくない祠に、とてもしっかりした屋根がかつては権勢を振っ…
広島市安佐南区中筋にあります才ノ木神社です。 およそ一年ぶりです。 去年は、3月で河津桜が咲いていました。 まだ、少し早かったです(先週の2月12日です) 今回は、盃状穴(はいじょうけつ)があるとのことなので、見に来ました。 手水鉢の回りに円い盃くら…
先週訪ねました極楽寺山の続きです。 駐車場に車を止めまして、「新四国第七番 安芸西国第四番 極楽寺」「本尊 千手観音 阿弥陀如来」と記された2本の石柱を通りますと自然歩道です。 入口すぐに、御大師さんがおられます。 修行大師とあります。 台座には…
広島市安佐南区中須にあります「中須稲生神社」です。 神社の周りは、住宅が建ち並び、かつては安川に面していたのでしょうけど、今は安川には堤ができて一段下がったところにあります。 それがまた、当時の地形をうかがえます。 参道を通り鳥居を潜りますの…
広島城天守閣は、博物館になっています。 甲冑や刀剣、武士の生活など常時展示してあります。 その中でも福島正則公の「呑み取りの槍」で有名な「日本号」の写しが常時展示してあります。 一言で写しと言っても、全く引けをとる物ではなく槍の穂に施された細…
広島市安佐南区祇園にあります「熊岡神社」です。 可部街道の西原8丁目の信号の三叉路を西に伸びていますこの道路を産業道路といいます。 この産業道路を進みますと武田山が迫ってきます。 武田山麓に「熊岡神社」があります。さらに進みますと武田山に面し…
三原へ行きますと、小早川隆景公一色で、随分慕われていたのが伝わりました。 そういえば、一昨年博多の筥崎宮に姪に案内してもらったとき、 楼門を小早川隆景が造営したと記してあったのを思い出しました。 幼い毛利輝元を吉川元春とともに支えて瀬戸内海を…
小早川氏城跡 国指定史跡三原城跡です。 天守台上には三原駅構内から入ることができます。 三原市内が臨めます。天守閣があればもっと一望でき瀬戸内海も臨めたでしょうね。 慶応年間の三原城絵図をもとに彫刻された壁画が三原駅構内に展示されていました。 …
三原の「日本一」の神明大だるまですよ。 「隆景広場」からず~と露天に沿って歩いた先にあります。 四代目神明大だるまです。平成25年に半世紀ぶりに新調されて、顔もなんだか人懐っこくなってます。 高さ3.9m、廻り(直径)2.9m、重さ約500kgで、三代目より…
平和公園歩いてますと、原子爆弾が投下される前の原爆ドームこと広島県産業奨励館の写真が掲示してあります。 写真をよく見ますと、リアカーを押している人、引いている人が写ってます。 雁木には小舟が停泊してます。 どこかのどかです。 広島県物産陳列館…
史跡広島城跡 指定 昭和28年3月31日 史跡指定地 本丸跡、二の丸跡、堀およびその周辺 別名 鯉城(りじょう)・在間城(ざいまじょう) 形状 太田川河口の低湿なデルタ上に築かれた大規模な輪郭式の平城 沿革 1589年(天正17年) 毛利輝元 築城工事に着手 1591年(天…
二葉の里には、もう一つ[七福神めぐり」があります。 小学生のお嬢さんとお母さんが回られてました。とても楽しそうに回られてましたよ。 私は、歴史探索をかねて回りましたのをまとめて一気に紹介しますね。 まず、饒津神社、恵比須天です。私たち、これは…
聖光寺には、もう一人広島藩の武士で幕末の志士、高間壯士之碑と高間省三正忠之墓があります。 大石内蔵助親子のお墓にばかり注目を浴びていますけど、 この二葉の里を歩きましたのも、このお墓にお参りしたいとの思いもありました。 広島護国神社の筆頭祭神…
國前寺(本尊:釈迦如来)です。 広島駅新幹線口から15分も歩けば、國前寺にたどり着きます。 私は、今回は広島東照宮から尾長天満宮、そして國前寺に来ました。 石碑の詩にありますように、加賀の姫 自昌院とは、 加賀藩主前田利常のお姫様で、三代将軍家光…
二葉の里にあります、学問の神様、尾長天満宮です。 菅原道真が太宰府に下る途中、尾長山の麓に船を寄せ、この山に登って休息したと伝えられ、その場所に小祠が建てられたそうです。 陸路ではなく、海路だったんですね。 醍醐天皇の治世の折、出世を続け右大…
広島東照宮参拝すませましたら、奥へ進みますと 金光稲荷神社があります。 奥宮まで行ってみようと思います。 御遺訓参道、東照公遺訓 「人の一生は重荷を負いて、遠き道をゆくが如し、急ぐべからず」 ゆっくり行きましょう。 5分ばかり登りますと 東照宮遺…
広島東照宮に明治の広島がありました。 西南戦争「旌忠碑(せいちゅうひ)」について この「旌忠碑(せいちゅうひ)」は、明治10(1877)年2月に明治新政府と西郷隆盛を首領とする鹿児島士族らとの間に生じた「西南戦争」で亡くなった広島鎮台兵の顕彰と慰霊の…
広島東照宮です。 城下町広島の総鎮守 御祭神 東照大権現(徳川家康) です。 頂いたパンフレットによりますと 徳川幕府3代将軍家光は、初代家康公を祀るため、全国有力諸大名の領地に東照宮建立を勧めたそうです。 浅野2代藩主光晟の生母振姫(ふりひめ)は家…
明星院よりほんのわずか100mばかり進みますと、 鶴羽根神社にたどり着きます。 御祭神は 妹背二柱の神 伊邪那岐命(イザナギノミコト) 伊邪那美命(イザナミノミコト) 八幡三神 帯中津日子命(タラシナカツヒコノミコト) 品陀和氣命(ホンダワケノミコト) 息…
今週の土曜日12月14日、赤穂浪士討入りの日ですね。 元禄14(1701)年、江戸城内の松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけ、刃傷沙汰を起こしてしまいます。赤穂藩主の浅野内匠頭は切腹、お家は断絶。 吉良上野介はおとがめなし。 元禄15年12月14日、家臣…
饒津神社を出まして、隣接するように月光山明星院あります。 と言いましても、広島駅北口へ繋がる二葉通り(県道84号線なんですね)を車で走りますと奥まってわからないです。 もとは毛利輝元の生母、妙寿院の位牌所で、南光月素月山妙壽寺(臨済宗)だったそう…
饒津神社、創建時に黒松を植栽し参道は壮大な松並木だったそうです。 昭和20年8月6日、20数本ありました黒松、熱風、爆風によって損傷・倒木の被害を受けましたが、十数本の松は生き延びたそうです。 その後最後の一本となり、平成15年1月枯死に至ったと記し…
牛田方面から、とぼとぼ歩いてみました。 饒津神社の社殿に沿って擁壁が設けてあり、壁に阻まれて歩道より見上げても社殿は見えません。 やがて参道が道路に平行して見えてきます。 右折して饒津ガード下をくぐりますと広島駅南口へ 神社に沿って左折します…
新牛田大橋から白島側の河川敷を東に進みますと神田橋が架かってます。 この神田橋は、車道橋と人道橋の二本架かっています。 神田橋の人道橋を渡りまして右に折れまして東にわずか一区画歩きますと安楽寺の案内板に遭遇します。 案内板にしたがって、北へと…
牛田大橋南側に、小さな祠があります。 小さくても凜と誇らしげに鎮座されてます。 地元の人に大事にされているのがわかります。 広島城主二代目の福島正則公唯一の治世の史跡です。 広島の城下町を形成し、西国街道、雲石街道など広島への交通の便も確保し…
牛田大橋南詰めより県道37号線をわずかに南下しますと碇神社があります。 白島の氏神社、城下町最古の社です。 御祭神は大綿津見神(おおわだつみのかみ)、海の神様です。 神社にありました、15世紀の地図をみますと青い海のところ今では陸でしてすべて広…
工兵橋、旧広島市で唯一の吊り橋です。 旧太田川から猿猴川の分岐点には、新こうへい橋が架かっていて、国道54号線でアストラムラインの高架と並行して交通の要となっています。 それより、猿猴川わずかに下流へ歩きますと、吊り橋の人道橋、工兵橋があり…
あらまぁ、昨日になりましたね。 昨日、11月最後の日、30日土曜日の昼下がり、 お昼から、眼科に行くついでに、 紅葉に色づいた不動院行きたくなってちょっと行ってきました。 と言いましても、眼科は家から歩いてすぐなのですが、病院横目に見ながら通り過…
入船山記念館見終わりましたら、少しベンチにでも腰掛けて休みたいですね。 でも、ベンチはどこにもないです。 その代わり、旧東郷家住宅離れ、休憩所になってます。 なんて粋なことを 縁側に腰掛けて足伸ばしてホッとしますと、 目に入り込むのが とても手…