広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

尾長天満宮、尾長山の麓に菅原道真が太宰府に下る際休息されました。(二葉の里、歴史の散歩道)

二葉の里にあります、学問の神様、尾長天満宮です。

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菅原道真が太宰府に下る途中、尾長山の麓に船を寄せ、この山に登って休息したと伝えられ、その場所に小祠が建てられたそうです。

陸路ではなく、海路だったんですね。

醍醐天皇の治世の折、出世を続け右大臣にまで至った道真公が、宇多天皇の退位により左遷され京より下る途中、尾長山からの瀬戸内海はどう目に映ったでしょうかね。

菅原道真公の学校での古文で必ず習います

「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」

誰もが知ってます和歌です。

ずっと落ち込んでますのも読み取れます。

ましてや、まさに流されてます最中の瀬戸内海での休息です。

おそらく、付き人の人は見るに忍びなかったでしょうね。

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菅原道真が見た景色はこれとは全く違います。お社はなく、もちろんビルはないですね。

私の思うには、瀬戸内に浮かぶ島のような感じではなかったでしょうか。

京への郷愁は募りますね。

 

時は流れて、広島初代藩主浅野長晟の連歌の相手をしていた熱心な菅公の信者であった松尾忠正が寛永17(1640)年社殿を建立して管神を祀りましたとあります。

その後、亨保年間(1720年頃)、今の場所に社殿を再建したようです。

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ここ、尾長天満宮には、合格の木「やまこうばし」という樹木がありました。

葉が枯れても冬の間は枝についたまま落ちないで、学校に入学したり就職が決まった頃に花が咲き葉が入れ替わるそうです。

どんな花が咲くのでしょうかね。受験生の親子連れの方参拝されていました。