工兵橋、旧広島市で唯一の吊り橋です。
旧太田川から猿猴川の分岐点には、新こうへい橋が架かっていて、国道54号線でアストラムラインの高架と並行して交通の要となっています。
それより、猿猴川わずかに下流へ歩きますと、吊り橋の人道橋、工兵橋があります。
昔よりこの前を車で何度となく通ってます。工兵橋の存在も子供の頃より知ってました。
ですが、実際に渡ったことなかったです。渡るのわくわくしてます。
牛田方面からまっすぐ写しました。とても美しいですね。
橋の真ん中あたりから川上の新こうへい橋写しました。車が走ってますね。国道54号線です。
上にあります高架で太い橋桁二本に支えられてるのがアストラムラインです。電車走ってたらよかったですね。
反対側の川下側です。
少しばかり曇ってはいますが、穏やかな心地よい風が吹いてます。
蛇行した猿猴川の先にあります常盤橋の手前をJR山陽線の在来線と新幹線の高架橋が上と下で横断してます。
その高架橋の饒津ガード下をくぐり左に折れますと広島駅南口へ着きます。
さらに進みますと広島カープの本拠地「MAZDA ZOOM-ZOOMスタジアム」に行けますよ。
渡りまして、白島側から写しました。
こちら側は戦前は工兵第五連帯がありまして、牛田の演習場への連絡路として明治22(1899)年に架けられた木橋がはじめだそうです。
その後吊り橋となり戦前は軍人の渡る橋で地元住人は渡ることができなかったそうです。
現在は桜の時期には、桜の名所となっています。この時期わざわざ車で抜けたりします。
車道から一段下がった川の間は遊歩道になってます。お花見には賑わってます。
遊歩道歩いてみますと、
確かなことは言えないのですが、工兵第五連帯の名残のような建物の基礎部分や石垣跡、擁壁のような残骸跡とか無造作に埋まってます。
あの日、昭和20年8月6日午前8時15分
平和大通りで建物疎開の作業をしていた中学生達もそうですが、当時8時に集合点呼し、作業に移るということで、
兵隊さん集合したところへ原爆投下されたそうです。そのため多くの犠牲者を出しています。
この残骸跡はその時吹っ飛んだのでしょうか?それとも広島復興のために壊されたのでしょうか?
それともそもそも、これは工兵第五連隊のものとは無関係のものでしょうか?