比治山公園にあります陸軍墓地です。
放影研の先にあります。
子供の頃から何度ともなく登りました比治山ですけど、
陸軍墓地を訪ねるのは初めてです。
バラバラになっていたお墓をまとめたのでしょうか?
左右には、陸軍軍人合葬之墓とあり、都道府県別に全国の墓が並んでいます。
それでも、現存墓数が戦前に五百余柱不足して所在不明となっているそうです。
明治の時代から軍都として発展しました広島は、宇品港から多くの兵隊さんを戦地へと送り出しています。
墓地の先には、広島湾へと繋がっています。
墓地を進んでいきますと、正面に大きな5つの合葬之墓があります。
両サイドには陸軍軍属合葬之墓とあり、
中の三つには、
明治二十七八年之戦没
陸軍軍人合葬墓
と記されています。
明治27年から28年に戦没された陸軍軍人の合葬の墓です。
1894年から1895年、日清戦争です。
学生の時の日本史では、日清、日露に続いて第一次、第二次世界大戦と年代別に習い近代史はとてもさらっと通り過ぎていきます。
鎌倉時代を熱く語った先生も、この時代になると年号を拾って覚えておくようにとそれぞれの出来事を読み上げるだけです。
そして、なんとなくこの時代を否定的語られます。
私たちは、試験にでそうな事柄にラインを引くだけです。
こんなに近くに、教科書ではわからない肌でしか感じられないところがあったなんてと思います。
それも薄暗くて陰湿ではなく、とても気持ちのよいところです。
日本を守るために若くして亡くなった英霊に敬意を示すことはとても大切なことだと思います。
墓地には、誰に頼まれたでもなくバイクで来て墓地を掃除されてた方がおられました。
数年前、訪ねて来て墓地の掃除に来てますと、言われました。