広島県呉市野呂山弘法寺です。
弘法寺に着きますと、
「どうぞ!どうぞ!」と
本堂の中に案内してくださいます。
よろしいんですか?と申しますと
「はい!是非どうぞ!」
と案内してくださいます。
写真とってもよろしいですか?
とたずねますと、「かまいませんよ。どうぞ」
といってくださいます。
来るとき見ました大きな一枚の岩に自然に裂けた岩屋の奥を祀ってあります。
その岩肌には、自然に浮き出た何体もの御大師様が光の差し具合で浮いて見えます。
説明を聞くと真に見えます。
他にも、あらっ!あそこのも、そこにもとお姿が見えます。
一枚の岩の裂けた岩屋の奥のまさにそこに、御大師様、座られて修業されたそうです。
参道からお堂近くに来ました時、聞こえてきました、楽しそうなご婦人の笑い声は、お寺を守られています方々でした。
このお寺は御大師様が、修業された折、食べ物やお世話をされた中切地区(呉市安浦町大字中切)の地元の方がずっと今に至るまで守ってこられています。
当番で、今日は私たちなんですよっておしゃっておられました。
そして、お茶をいれてもらい、そしてお菓子まで頂きました。
少しばかり、恐縮しますと、
「このお菓子は、御大師様に差し上げたお菓子で、お召し上がりになったお菓子です。是非、どうぞ」
と、言われます。
お茶とお菓子を頂くと何でしょう、自然に笑い声が出ます。
宝亀5年6月15日(774年)讃岐国屏風浦(現在の善通寺)に御誕生され、御年19歳にして四国中国東海道伊豆桂谷山修善寺等各地の山岳に登られ求聞持の秘法を修め難行苦行を重ね仏道に入り修道を究め隅々芸州厳島弥山に杖をひかれ帰路瀬戸内海にそびゆる野路山に登り岩屋に籠もり修業に専念されました。
延暦の末遣唐使に従い入唐青龍寺の高層恵果に密教を学ぶこと3年余帰朝して普く諸国を巡り真言秘法を説き大同2年(807年)平城天皇の勅命によって真言宗を開宗せられ、
弘仁3年(823年)春、御年49歳の時再び野路山に登られたその事績に鑑み地元中切の住民は、
この地に伊音城大師堂を建立し本尊太子像を祭り
と、記されています。
地元の中切の当番のご婦人に
先だっての西日本豪雨(2018年7月7日)の広島市から呉市の多大の被害の時、お寺は大丈夫でしたか?
と訪ねましたら、
地元の人も驚かれていたのですけど、このお寺と中切地区だけは無事だったそうです。
それから、お堂を出ますと眼前には、
瀬戸内海が広がっています。
この日は、朝から少しばかり曇り空で、
雲海のように見えますのが、瀬戸内海です。
浮かんで見えます島は大崎下島ですかね。
さらに雲の上に島のように見えますのは四国だと思います。
天気が良かったら石鎚山まで見ることができます。
この景色は、
1200年前と変わらないように思います。