横川橋おかえり観音さまです。
横川橋北詰の袂におられます。
横川の名前の由縁となりました東西に流れる天満川沿いにおられます。
この観音さまは、
元々広島市楠木町1丁目でお祀りされていた物だそうです。
説明板を読みますと、
楠木町1丁目に小さな大師堂があり、境内に十有余体の石仏が祀られていたそうです。
信仰心篤き人々に永年護持されていました。
ところが昭和40年代終わり頃か昭和50年始め頃ははっきりしないのですけど、再開発され仏様はこの地を追われることとなりました。
毎日手を合わせてお参りしていました人々は、仏様の行き先を案じ、
昔から縁の深かった三瀧寺に仏様の奉安を願い出て、三瀧寺はそれを受け鐘楼より本坊に至る参道の山肌を整備して仏様をお迎えされたそうです。
楠木町の方々は大変喜ばれ、月に1~2度皆さん連れだってお参りに来ておられていたのですが、
しかし5年10年15年と歳月を重ねるごとに楠木町から参拝される方が少なくなり、石仏が苔むしてゆくにつれて、由来を知る人も少なくなり、三瀧寺の境内で静かに無言の説法をなされる身となられました。
平成16年夏、横川の方々が、この地域の人々や道行く人の安全を祈り、人の心の拠所となる仏様に来て頂きたいと、三瀧寺に登ってこられ横川橋の袂に安置したいと申し出されたそうです。
まさに昔楠木町で願っていたことです。
そこで三瀧寺は、仏様に遷座をお願いし、楠木の仏様は横川橋の観音様として再び人々を見守る役にお付きになられたそうです。
三瀧寺にお参りしましたとき、山肌にたくさんの仏様がおられます。
広島市が、原爆投下から立ち上がるために都市計画が行われ町は近代化し人々の生活は便利になっていきました。
その中に人々の生活に忘れ去られてしまいました心の絆、もう一度思い出させてもらいました。