三篠(みささ)神社です。
広島市堺町から、西国街道と別れ、石州街道は寺町を抜けて真っ直ぐ、国道183号線を横切ってJR山陽本線高架を潜り続いています。
その県道277号線沿いに三篠神社はあります。
都会のビルや幹線道路を車が往来します町の中にあります。
三篠神社の
御祭神は、
伊弉諾神、伊弉冉神、大年神、
大国主神、宗像神、猿田彦神、
八幡神、天満天神
です。
三篠神社の略記をみますと、
永禄年間(1558年から1570年まで)、この近在に、大年神を大年大明神として称して創起。
天正年間(1573年から1592年まで)、横川往還の東側、楠の木の大木の下に猿田彦神を、楠木大明神と称して創起。
承応3年(1654年)、現社地に宮社を造立、大国主神を黒皇大明神と称して創起。
前記、大年大明神、楠木大明神を合祀、明治に至り、黒皇神社と称す。
其の後、楠木村、新庄村、打越村を合併し、三篠町と称せし頃の大正3年、町の中心地たる
楠木鎮座 黒皇神社に、新庄鎮座 熊野神社、打越鎮座 八幡神社 青木神社を合併、
社号を三篠神社と改称
壮大な社殿を造営せしも、昭和20年原子爆弾のため、樹齢300年に及ぶ境内木と共に烏有に帰す。
暫時、元熊野神社跡なる御旅所に遷御、同23年本殿一棟を造営して還御。
同48年、山手町鎮座 天神社合併。
境内地は都市計画のため狭隘となる
とあります。
時代とともに、なんだかすごい変遷ですね。
しかし、永禄年間からの移り変わり、それに原爆まで落ちて、それで何とか繋がったと思いましたら都市計画に見舞われて、それでも残り続ける強さを感じます。
氏神様として地元愛を感じますね。