呉市の長迫公園です。
旧海軍墓地です。
この日(6月中旬)は、とても暑く日傘を差しても首筋から滲むように汗が湧き出ます。軍艦とか余り詳しくないのですけど、
墓碑を見ながら、おびただしいほどの海底に沈んだ軍艦には、
たくさんの乗組員が乗船されていて、
とても厳しい戦いだったことを改めて思い知りました。
戦艦大和の碑を探しながら、どんどん上がっていきますと、
東屋があります。
ここまできますと、暑さも凌げます。
東屋から見えます呉の町並、呉湾のずっと先は広島市です(もちろん見えません)。
ところが、いっしょにいたはずの主人の姿が見えません、
よくよく見ますと、下の住宅の角で私を待っています。
今回は、戦艦大和の碑は諦めて帰ることとします。
その、長迫公園の多くの軍艦の碑の中に、
「軍艦鈴谷」の碑がありました。
「軍艦鈴谷」は、
昭和8年12月11日、旧横須賀海軍工廠にて起工し、
幾多の海戦に参加し
昭和19年10月25日、レイテ沖海戦に参加し、
サマール島東方海面の太平洋上の六百有余名の乗組員と共にその姿を没す。
とあります。
「鈴谷」とは、
ソ連領サハリン南部のチエホバ岳が旧日本領土の樺太であった頃に鈴谷岳と呼ばれ山裾を流れる鈴谷川にその名を取り二代目鈴谷として誕生したそうです。
然し地球上に存在しなくなった地名鈴谷を此の世から忘れ去られる事に忍びず軍艦鈴谷とその犠牲者の功績を此処に伝える。
と記されています。
平和にならされています私たち、よく考えるとわかることなのですけど、考えもしませんでしたし、気が付こうともしませんでした。
国を盗られると言うことはこういうことなんですね。
私の住んでいますところが、故郷の名前が、
地球上から無くなるんですね。