「鶯の 口のさきなり 三萬戸」
比治山公園で読みました正岡子規の句です。
公園の中に子規の句の碑があります。
1895年(明治28年)3月3日、正岡子規は日清戦争の従軍記者として東京を発ちます。
そして、ここ広島でおよそ1ヶ月過ごします。
比治山公園の中にあります富士見台展望台の入口にこの碑はあります。
正岡子規が比治山から見た広島と同じ広島を今は見ることはできないです。
50年後、大きな不気味なキノコ雲の下で跡形もなく灰となりました。
僅かに比治山の影となりました東側の町段原地区を除いたら、
その段原も戦後の再開発で様変わりしています。
そして、
128年経った現在、比治山から見る復興しました広島を子規が生きていたらなんて読むかしら、