広島市南区比治山公園の陸軍軍人の墓地を進んでいきますと、
日清戦争の軍人の墓碑の先には、
海の見えますとても美しいところに、フランス兵士の墓があります。
1900年(明治33年)、中国における義和団の乱鎮圧(北清事変)の際、フランス傷病兵120余名が広島に搬送され陸軍病院で治療されましたけど、そのうち7名が治療の甲斐もなくこの地で落命しましたと、
書かれています。
そして更に、
彼らはここ比治山陸軍墓地の一画、海を見下ろす絶景の地に埋葬されたとも書かれています。
比治山の南、目の前には、パノラマが広がっています。
明治の頃は、広島湾ももっと綺麗に見ることが出来たでしょうね。
異国中国で負傷し、ここ広島で治療したにも関わらず祖国の土を踏むことなく遠く離れた日本のこの地で亡くなられた7名、
日本式のお墓ではなく、西洋式のお墓です。
瀬戸内海の風をせめて祖国フランスの地中海との思いで埋葬されたのでしょうね。