広島城の東側に位置します裏御門からお堀に沿って左回りで歩いて行きますと、
お堀の突き当たりに、
広島陸軍幼年学校跡の門柱が残っています。
これよりさらに左にお堀に沿って城北にあたります。
説明板があり、またその先に樹木に隠れるようにもう一つ石に彫られた石碑があります。
こちらには、
明治天皇の聖台により明治30年廣島市基町に開校し、昭和3年軍縮のため一旦廃校となったが、昭和11年再興爾来、昭和20年に至るまで、
累計3345名の将校生徒を育成した。
これら同窓生は國軍の楨幹として皆克く邦家守護の重責に任じ、また戦後復興の柱石として活躍した。
ここに在りし日の母校を偲び、原爆の劫火に耐えた校門を修復して永くこれを記念する。
昭和46年6月吉辰
同窓生一同
とあります。
その石碑の裏には、当時の地図があり、
赤で示されているのが当時の地図で、
青で示されていますのが現在の場所になります。
広島陸軍幼年学校は現在の基町高校、白島小学校にあったことがわかります。