広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

比治山ホール、見学に行ってきました。

8月5日、友だちに誘われて比治山ホール見学会に行ってきました。

彼女が何もかも手続きしてくれて、

抽選に当たったよって連絡を届いて、抽選なの?なんて軽く捕らえていましたら、

午前と午後の2回それぞれ20名ずつの募集に300名もの応募があったそうです。

なんて運がいいんでしょう。

比治山にあります放射線影響研究所(略しまして「放影研」と言います)の隣、比治山の山手に建っています。

放影研は、昔はABCCといっていました。

放影研には4年に一度健康診断に行きますけどこの建物には気が付かなかったです。

1953年、今から70年前の建物で、

ABCC米国人独身寮として、建築家前川國男の作品だそうです。

「モダニズム建築」だそうです。

正直、建物に入る前は、どこがいいのか?よくわからなかったです。

立面の外観の装飾はいらない、機能的で合理的な平面図に拘るのがモダニズム建築なんだそうです。

鉄筋コンクリートにより、

柱の位置には拘らず

テラスには窓が一面に施されています。

なんだかそれだけで、とても開放的に感じます。

戦後、広島の復興期モダニズム建築の作品です。

建築家前川國男が広島に残した唯一残っています作品だそうです。

 

キッチンには、大きなコンロがあり、

オーブンを覗きますと、とても大きくて、クリスマスの七面鳥いとも簡単に焼くことできそうです。

そして、なんと言っても階段です。

吹き抜けの2階から釣って強度を保っています。

プライベートルームから階段をおりますとこのロビーです。

当時は、ロビーの真ん中にはストーブがあり、日本の戦後の混乱期とは別世界です。

2階のテラスから臨む広島湾です。

正面には、安芸の小富士「似島」が見えます。

 

プライベートルームです。

洗面台には、初期の頃のTOTOのロゴマークが付いています。

 

戦後の日本を語りますのにとても貴重な建物ですね。