広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

広島湾を出まして、西へ、厳島神社へ

8月3日16時予定通り、宇品港を出て、

G7広島サミットが催されました元宇品のグランドプリンスホテル広島をみながら、

水しぶきをたてボートは西へ、

瀬戸内海、一面に白い夏雲が湧きあがって、船内は、若かりし頃の島に海水浴に行った時の話しで盛り上がります。

広島湾に浮かぶ津久根島です。あまのじゃくの島です。

海域は源氏から平家へと移っていきます。

その証拠に、これより東は源氏の八幡さんが圧倒的に多いそうです。

屋島の戦いで敗れた平家は、下関の彦島を目指し瀬戸内海を西下していきます。

途中、安徳天皇をのせた御座船は、厳島神社へ参拝して必勝祈願をする予定でした。

しかしすでに、地御前には源氏の船団が固めて参拝が叶わなかったです。

 

平清盛が都の管弦の遊びを厳島神社に伝え、遊びではなく神事として執り行われます「管弦祭」が古から今に至るまで毎年、旧暦の6月17日に行われます。

源平合戦で敗れました平家、それでも脈々と受け継がれています。

今年は、8月3日の昨日がその日です。

江波漕伝馬船と阿賀漕伝馬船が、御座船を引きます。

平安時代から、延々と受け継がれていっています「管弦祭」もうじき始まります。