美しい瀬戸内海を一望できる眺めのよい高烏台公園は、
かつての砲台跡です。
公園には、砲台跡の基礎部分が残っています。
公園の「清盛日招き像」のあります広場より少し下りたところに兵舎跡が残っています。
とても、丁寧な石組みで強固な造りが伝わってきます。
旧高烏(たかがらす)砲台 兵舎
この建物は、明治29年から陸軍が呉(広島湾)の防護のため砲台を整備した際、高烏砲台の兵舎として建てられた建物です。
高烏砲台は、軍港として軍事的に重要な施設でもあったので、後に海軍に移管されました。
昭和20年8月の終戦後、兵舎は荒廃しましたが、石造の外壁は現在も残存しています。
兵舎を含む高烏台砲台に使われている石は、建物の位置から南西側の公園内の斜面から産出された花崗斑岩であることがわかっています。
この兵舎についての記録は残されておらず、詳細は不明ですが、明治時代の石造建物としての形態を残しています。
と記されています。
旧高烏砲台火薬庫(国登録有形文化財)は、入船山記念館に移築されています。
以前に入船山記念館に訪ねて行ったときは、ただ漠然としか理解できなかったように思います。
砲台の意味も、火薬庫が兵舎が石造りなのか、来てみて改めて分かったように思いました。
日本のお城が高い山を要害としてまた石垣やお堀で守られているように、
防護のための砲台跡ですね。
この公園から、
音戸の瀬戸はもちろん、
江田島から愛媛県の島々や蒲刈島まで見ることが出来ます。
安芸灘大橋も見えるとありましたけど、大きな木が生えていて少し見るのが困難でした。
天気がよかったら、愛媛まで見ること出来たでしょうかね。どうだろう!