広島歴史探索の後は、お好み焼き「そば肉玉」じゃね

面白かったこと楽しかったこと感動したこと疑問に思ったこと書いていきたいと思ってます。時々、広島弁出ますけど

広島多聞院を訪ねました。

広島市南区にあります多聞院を訪ねました。

多聞院は、

比治山公園の登るルートの一つで、広島電鉄比治山下を通ります線路に沿って、比治山神社と比治山トンネルの間にあります西側ルートの入口にあります。

 

多聞院の前の電車通りは最新の車が忙しそうに往来し回りはビルが建っていますけど、石畳の敷かれた線路の上をコトコトと電車がゆっくりと走ります。

どこか懐かしく大正時代をも思わせます(広島でどこでも見ることができます風景です)。

 

登り口入口に入りますと多聞院の石垣にきちんと剪定された低木の皐月と松の木で、5月に訪ねますととても綺麗でしょうね。

多聞院は、

毛利氏が郡山城下に建てた真言宗寺院です・

広島城築城とともに三滝山麓に移され、さらにこの地に移されたのは慶長9年(1604年)、福島氏の時代です。

とあります。

多聞院は広島新四国八十八ヶ所霊場の第五十四番です。

 

さらに詳しく、

広島新四国八十八ヶ所霊場のサイトより一部引用しますと、

金剛吉祥如意宝珠山光明遍照寺多聞天王院と呼びます。

本尊は、後白河法皇御勅作の毘沙門天王です。

治承年間(1180年頃)高倉上皇厳島御幸の際たづさえて来られ、安芸郡隠浦渡の浦畑村に多聞堂を建立奉安されたのが始まりだそうです。

 

(詳しくは下記のサイトをご覧になってください)

88-henro.com

 

平家物語で後白河法皇を幽閉しています平清盛の怒りを鎮めようと高倉上皇、安徳天皇に位を譲った御幸始めに安芸国の厳島神社に御幸されます。

その時、後白河法皇御勅作の毘沙門天王をたづさえて来られたんですね。

高倉上皇、何ともおいとわしいことかと察してしまいました。

 

虚空蔵菩薩を御本尊とします本堂です。

お墓の中のへんろ道にそって上って行きますと、

毘沙門天本堂に着きます。

御本尊 毘沙門天王です。

毘沙門天本堂から見える広島市内の風景です。

本堂と庫裡の屋根の間の先あたりが、平和大通りだと思います。

京橋川に架かります鶴見橋を渡りますと平和大通りです。